注)この話は、Kanonの川澄舞のEND後の話です。
いつの日か、笑顔で……
「………」
なかなか来ない待ち人をイライラして待ちながら、俺――相沢祐一――はリビングの時計を見やる。
現在午前十時半。もう予定の時間から三十分も遅れている。
「………」
「……そんなに待ち遠しいなら、迎えに行ってあげれば良いのに……」
不機嫌そうな顔で時計を睨んでいる俺に、名雪が口を尖らせる。
超睡眠体質のコイツが日曜の朝にこれだけキッチリ目を覚ましてるなんて異例の事だ。
やはり、それだけこれから来る待ち人の事が気になるのだろう。
「今からいったって行き違いになるだけだ。それに……」
そこで一旦言葉を止め、秋子さんの淹れてくれたコーヒーをすする。
「約束だからな。ここで出迎えるって……」
ピンポーン。
「あっ、来たよー!」
言うと同時に、名雪は立ち上がって玄関に駆けて行く。
キッチンにいた秋子さんもパタパタとそれに続く。
結局、俺がドベになりながら、三人揃って玄関の前に立った。
――カチャ。
代表で俺が扉を開けると、その向こうに俺達が待っていた顔があった。
少し大きめの鞄を手に下げたそいつは名雪を、俺を、そして秋子さんを順繰りに眺めやると、無言のまま深々と頭を下げた。
それが、この水瀬家の通算三人目の居候、川澄舞の挨拶だった……。
事の起こりは三週間ほど前、漠然としか立てていなかった計画がいきなり崩壊した事から始まった。
あの事件が終わりを告げ、もう夜の校舎に佇む必要もなくなった舞は、今や幼いままで凍りついた心を抱えた、ただのか弱い少女になった。
しかもこいつは自分で言う通り、よく突然泣き出した。
その度に、俺や佐祐理さんが側にいて涙を止めたのだ。
俺はそれを望んで舞にそう誓ったし、佐祐理さんに関しては言うまでもない。
言い忘れていたが、病床にあった彼女は、舞から全てを告げられた。
十年前の、俺との邂逅から始まった長い長い夜。
自分の中に芽生えてしまった力を、自分自身の剣で切り伏せようとした日々。
その中で、佐祐理さんと知り合い、結果として巻き込んでしまった。大怪我を負わせてしまった。
ポツリポツリと、呟くようにして告白する舞は、恐らく半ば絶縁される事を覚悟していただろう。
自分が何も言わなかったばかりに、大切な親友をこんな目に逢わせてしまったのだ。
そんな事に耐えられるほど、舞は無感性な人間ではない。
だが、佐祐理さんは話を聞き終わると、そのまま舞をベッドの側まで呼んだ。
そしてその体を抱き止めると、心の底から嬉しそうに囁いた。
「おめでとう」
と。
「じゃあ、もう何も心配しなくていいんだね。これからは、佐祐理や祐一さんと一緒に、ずっと幸せになれるんだね」
その言葉に、舞は俺が知る限り初めて喜びと言う名の涙を流した。
そしてそれは、十年と言う歳月を取り戻すための、始めの一歩でもあった……。
話がずれたが、ともかく俺としては二人の卒業後、どこか広めの部屋を借りて、俺達三人で住むつもりだったのだが、まず佐祐理さんが諸般の事情から家を出て一人暮し(実際には違うが)をする事が出来なくなってしまった。
いくら佐祐理さんが懇願してもこればかりは許可が下りなかったようで、彼女は大変済まなさそうに俺達に頭を下げていた。
そうなると、後は俺と舞の二人という事になるが、流石に高校卒業前に同棲と言うのは抵抗がありすぎるし、それを抜きにした所で今の俺にはそんな経済力はない。
だが、卒業すれば今までのようには会えなくなる以上、やはり出来る限り舞の側にはいてやりたい……。
これらの問題に悩まされていたある日、その事に気付いた秋子さんが俺に声をかけて来た。
まあ、よく考えれば当然の事態といえる。
俺は割と考えてる事が顔に出るタイプだし、それ以上に秋子さんはああ見えて鋭い。
だが今回、出来る事なら俺はこの件を秋子さんには相談したくなかった。
無論、怒られるからとか反対されるからとか言う理由ではない。むしろ全く逆の理由からだ。
事情を話せば、秋子さんはいとも簡単に、「じゃあ、ウチに住んでもらいましょう」と言ってくれるだろう。
だが、今回の件は俺個人の問題である。
そこまで秋子さんに迷惑をかけるのは流石に心苦しかった。
だが、一人で悩んでも良い案など出ようはずもなく、
それに、家を出るならどの道秋子さんにも相談しなくてはならない。
結局、俺は秋子さんにまず事情をかいつまんで説明した。
例によって例のごとく、秋子さんは一秒で「了承」の返事をくれた。
その後、俺は家に舞を呼んで、名雪も交えて今度は全ての事情を、舞の許可を得て説明する。
十年前まだ子供だった名雪はともかく、秋子さんは舞の名に聞き覚えがあったらしく、何度も感慨深げに頷いていた。
「それなら、いつでも遠慮なくウチに来てくださいね。祐一さんにとって大切な人なら、私達にとっても同じですから」
「いつでもいいよ〜」
そう言って微笑む名雪と秋子さんをまじまじと見つめると、舞はこくんと一つ頷いて、
「……ありがとう」
と呟くように礼を言った。
そして、少し実際的な話をした後、舞がこの家に来るのは三月の七日(卒業式が終わって最初の日曜である)に決まった。
「どうだった?あの二人の感想は」
舞を家まで送る道すがら、俺はそんな事を尋ねてみる。
ま、聞かなくても答えは想像つくけど……。
「……凄く、嫌いじゃない」
やっぱりな。
秋子さんも、名雪も、タイプとしては佐祐理さんとかなり似ている。
相手がどんな人間であろうと受け入れ、安らがせるような器の広さがある。
佐祐理さんと三人で住む予定は崩れたが、彼女はウチに遊びにくれば問題無いし、舞と秋子さん達の双方がお互いを受け入れた以上、結果として当初の予定より遥かに事態が好転したとさえ言える。
俺はこの時ほど、あの二人の存在を有難く思った事は無かった。
「祐一」
「ん?」
彼女の家の前で、舞は突然俺に声をかける。
毎度の事ながら彼女が何を言い出すのか見当も付かないので次の言葉を待っていると、
「その日になったら、私を、あの家で出迎えて欲しい……」
と呟いた。
その言葉が何を意味するのか、この時の俺にはよく分からなかったが、
あの舞が自分から何かを要求するなんて滅多に無い事である。
一も二もなく頷いて、この日は別れた。
それから、その日に向けて一枚一枚カレンダーはめくられていった。
舞と佐祐理さんは揃って同じ大学に合格し、舞は保護者である叔母から、家を出る許可を取りつけた。
そして、今日――。
「えーと、そんじゃまあ、舞の新しい生活を祝して、乾杯!」
「かんぱーい!」
「………」
何となく気の利かない音頭取りではあったが、それでも皆グラスを掲げてくれる。
昼頃に舞の荷物と一緒に来た佐祐理さんと一緒に舞の部屋――以前真琴が陣取っていた部屋である――に荷物を運び込み、何とか形になった所で、彼女を歓迎するためのささやかな祝宴が開かれた。
ささやかとは言っても料理名人の秋子さんと佐祐理さんが腕によりをかけて作った料理が並べられ、秋子さん公認で――少しだけだが――アルコールも持ち込まれた。
酒の勢いも手伝ってか、佐祐理さんも名雪も常になくはしゃぎまわり、
秋子さんもにこにこしながらもっぱら給仕に勤しんでいる。
今夜の主賓である舞も、無表情はいつもの事ながら、言動の端々から充分楽しんでいる事が伺える。
何もかもが満たされた完全な光景。
どこまでも続く、幸せへと続く道の第一歩。
俺は、身の丈ほどもあるケーキを一人で全部食べてもいいと言われた子供のように、不安と興奮で弾け飛びそうになりながら、その光景を見つめていた。
それは、例えば朝の食卓―――。
和食が好きだと言う舞の為に、ここ最近の朝食はトーストとコーヒーではなく、ご飯と味噌汁がメインになっていた。
イチゴジャムが大好きだった名雪がさぞや意気消沈するだろうと思っていたが、
「切干大根、美味しい」
と、相変わらず幸せそうに朝食を頬張っていた。
どうやら甘めのものなら何でも良いらしい。
ぐしゅぐしゅ、ぐしゅぐしゅ、ぐしゅぐしゅ……。
納豆の中に辛子とネギを少しずつ入れ、よーくかき混ぜてから醤油を垂らす。
香ばしい匂いがぷんと立ち昇り、胃袋の運動を促す。
日本人にとっては至高の食べ物だ。
「うう〜〜〜、変な匂い〜〜〜」
が、名雪の好みには合わなかったようで、納豆ぶっかけご飯を掻き込む俺と舞の横で顔をしかめていたりする。
「何だ名雪、納豆嫌いか?」
「臭いよ〜〜。味も変だし、べたべたして食べにくいし……」
「美味しいのに……」
口から納豆の糸を引きながら、舞が呟く。
まったく、この美味しさが理解できないなんて不幸な奴だ。
「そう言えばお前、いつだかイチゴジャムがあればご飯三杯は食べられるとか言ってたよな」
「あれは冗談だよ……」
唐突に思い出した俺の言葉に、名雪は口を尖らせる。
「いや、お前なら本当にやりかねんな。今度寝ぼけてる時にでも試してやろう」
「やめてよ〜〜」
とすっ。
「うくぁっ」
意地悪く追及している俺のこめかみに、いきなり箸が突き刺さる。
こういう事をするのは――。
「舞〜〜〜〜」
「祐一が悪い」
睨む俺にしらっと返すと、舞は箸先をティッシュで拭いて、食事を再開する。
「名雪をいじめない」
ここ数日で、舞と名雪はすっかり仲良くなっていた。
お互い動物好きと言う事で気が合って、今やすっかり実の姉妹同然である。
「ありがとう、舞ちゃん」
「………」
こくん。
笑顔で礼をいう名雪にちらりと目を向けて、舞は相変わらず無言無表情で頷く。
その間にも箸は全く止まっていない。
「ごちそうさま」
味噌汁――今日の具はナスである――まで平らげて、舞は席を立つ。
そこで時計に目をやると、そろそろ急がなくてはヤバい時間である。
「おっと、まずいまずい。そろそろ行くぞ、名雪」
「あ、うん」
二人で急いで残りを片付け、家を出る。
俺達がいない間は佐祐理さんが来てくれる事になっているので、舞が独りになる心配も無い。
俺達は心を弾ませながら、学校への道のりを走っていった……。
それは、例えば菜種梅雨の昼下がり―――。
「ただいまー……、うおっ!?」
土曜の授業を終えて家に帰りつくと、いきなりリビングに原色が散乱していた。
赤、青、ピンク、緑、黄色……。それらはきれいに正方形で、何となく懐かしいような感じも……。
「って、折り紙か」
その正体に気付いて、俺は声を漏らす。
余りに長い事見ていなったので、一瞬自分が何を見ているのか理解できなかった。
「何してるんだ?舞」
その中心にいた舞は、秋子さんから何かを教わりながら、一心不乱に折り紙と格闘していた。
「……ウサギさん」
俺の問いに、チラッとこちらに目を向けて舞はそう答える。
成程。確かに折り上がっている折り紙は全部動物の形をしている。
「……クマさん、キツネさん、ツルさん、お馬さん、キリンさん……」
それらを一つ一つ並べながら、また舞は何かを折り始める。
今度はサルだろうか?
「ちょっとした動物園だな」
それを立ったまま眺めている俺に、秋子さんが声をかけてきた。
「祐一さんもどうですか?」
「俺が折れるのっていったら、せいぜい鶴とヤッコと船と手裏剣くらいのものですけどね」
「大丈夫ですよ。私が色々教えてあげられますし」
まあ、そう言う事なら別に断る理由も無い。
俺も舞に倣って折り紙と戯れてみる事にした。
その後、いつもの通り遊びに来た佐祐理さんは舞にあやとりを教えだし、俺もケン玉を買ってきて腕前を披露したりした。
どうやら、ウチはいつの間にか「昔の遊び研究会」になってしまったらしい……。
それは、例えば天気のいい春の午後―――。
「こいつ等は……」
「あははー、気持ち良さそうですねー」
俺と佐祐理さんが買い物から帰ってくると、出る時しりとりをしていたはずの舞と名雪は、日当たりの良いリビングの縁側でお互いの脚を枕にするようにして気持ち良さそうに寝こけていた。
「ったく……。寝るんならベッドで寝ればいいのに」
「お昼寝するなら、こういう暖かい所で転がる方が気持ち良いですよ」
ぶつくさこぼす俺に、佐祐理さんがフォローを入れる。
とにかく、ただこのままにもして置けないので、タオルケットでも掛けてやろうと近づいた時、いきなり舞が目を覚ました。
「………」
「何だ、起きたのか。ほら、なんか掛けて寝ないと風邪引くぞ」
「………」
だが、舞は俺の言葉に一向に反応しない。焦点の合わない虚ろな目で、じっと俺を見つめている。
「………」
「………何だ?」
まさか……。
「……ウサギさん」
ぎゅっ、ぱたっ!
「だーっ!やっぱりか!」
思いっきり寝ぼけていた舞は、俺の首っ玉にしがみついてそのまま床に引き倒す。
ううう……、舞の胸が顔に当たって……、いや、そうじゃなくて。
「うにゅ……」
と、今度は俺の足元で名雪が目を覚ます。が……、
「けろぴー」
案の定寝ぼけていた名雪は、ぼそっと呟くと俺の脚を抱きかかえてまた寝に入る。
う、動けん……。
「俺はウサギさんでもなければけろぴーでもないぞ……」
「くー……」
「すー……」
が、二人は俺の言葉などお構いなしに熟睡している。
その様子を、佐祐理さんはニコニコと楽しそうに見ていた。
「両手に華ですねー」
「……そう見えますか?」
なんか、二人が目を覚ました時が怖いんだが……。
「折角ですから、佐祐理もここでお昼寝します」
しかも、佐祐理さんまで床に寝っ転がるし……。
何か、もうどうでも良くなってきた……。
「俺も寝よう」
結局、俺達四人は春の日溜りの中で心地よい惰眠をむさぼる事になった。
無論、後で目を覚ました舞にチョップの連打をくらったのは言うまでもない……。
それは、例えば涼しい風の吹き渡る草原―――。
「お馬さん……」
舞が、心底嬉しそうに馬の顔に頬擦りをする。
俺達はゴールデンウィークを利用して、とある牧場に泊りがけで遊びに来ていた。
こう言っては舞に悪いだろうが、毎回毎回出かける先が動物園では流石に飽きが来るし、
ここなら、動物園より種類は少ないが、その代わり動物たちと直接触れ合う事が出来る。自分で言うのもなんだが悪くない選択だった。
「舞ー!一緒に乗馬しようよ」
すでに馬に跨っている佐祐理さんが、舞を誘いに来る。
どうやら余程慣れているらしく、誰にも手伝ってもらわず一人で馬を乗りこなしている。流石はお嬢様……。
「………」
こくん。
相変わらず無言で頷き、こちらは職員に手伝ってもらいながら馬に跨る。
始めはかなりぎこちなかった舞だが、そこは天性センスの良い彼女の事、
あっという間にコツをつかみ、佐祐理さんと一緒に馬を走らせていた。
その間、俺と名雪は牛の乳絞りの手伝いをし、秋子さんは割り当てられたバンガローで昼食の支度をしている。
「お昼が出来ましたよー」
その言葉で、俺達は作業を一旦中断し、バンガローへ。
昼食は朝産みの卵と俺達自身が絞ってきた牛乳で作ったオムライスと、すぐそこの畑から取ってきた野菜のサラダ。
秋子さんの腕が良い所に持ってきて、材料まで新鮮なのだからうまくないはずがない。
腹一杯になるまで平らげるとまた牧場へ遊びに出る。
今度は俺と名雪が乗馬に挑戦し、後の三人は見物に回っていた。
「わっ、わっ、わっ」
「っとと。結構難しいな、これ」
自転車に乗るようなものだろうと思っていた俺の予想は、至極簡単に裏切られた。
俺達のようなドの付く素人を乗せるような馬だから、気性は大人しい方なのだろうが、それでもなかなか思うように動いてくれない。職員が口を引いてくれていても、時々落馬しそうになる。
「……馬に逆らわない」
そんな俺達に、舞がぼそりと忠告する。
成程、そうするとかなり楽になってくる。
一応それなりに乗れるようになった後、今度は舞と名雪が中心になって動物達と戯れて回る。
舞は大好きなウサギを見つけて恍惚としたように可愛がっていたし、
名雪も――アレルギーに苦しみながら――執念で猫と遊んでいた。
夜になると、少し早い雑談に興じながら時を過ごし、それにも飽きるとまた相変わらず折り紙やあやとりで遊んだ。もちろん、しりとりもした。
予報によるとゴールデンウィーク中はずっと快晴だという事らしい。明日もまた疲れ果てるまで遊ぶとしよう……。
一日一日積み重なっていく、なんでもない事。
平凡な日々。
だが、改めて振り返る時、それは余りにも幸せで、暖かくて……。
ふと、そんなことを考える自分がいた。
いつまでも、幸せが続くように、願っている自分が……。
バタバタバタバタ……。
(……またか)
真夜中。誰かが廊下を走る音で目を覚ます。
別に珍しい事ではない。
ここ最近、一週間から十日に一度くらいは、水瀬家でこの音が立つ。
ガチャ!
音の主は、俺の部屋のドアを勢いよく開けると、そのまま俺のベッドに飛び込む。
そして、俺の胸にすがりつくと、ぐしゅぐしゅと泣きじゃくった。
「どうした、舞。また怖い夢でも見たか?」
「………」
こくん。
音の主――言うまでもなく舞である――は、俺の胸の中で頷く。
昼はまだ自制心を働かせている舞だが、夜になるとこうして完全に子供に戻ってしまう。
いつも、俺達がいなくなる夢におびえ、その不安を打ち消すために俺の所に駆け込んで来る。
「ほら、俺はここにいるぞ。名雪だって、秋子さんだって、佐祐理さんだってずっとお前の側にいる。だからもう泣くな」
「………」
……こくん。
髪を撫でてやりながらそう言い諭すと、今度は少し躊躇いながらも、舞ははっきりと頷く。
後は、こいつが寝つくのを待つだけである。
「……すー」
「……やっと寝たか」
確認して、俺はベッドから抜け出す。
もちろん、舞の涙と鼻水でぐしょぐしょになったパジャマを着替えるためである。
舞がウチに来てから、パジャマの着替えが四・五着あるという、なかなか異様な光景が展開されていたりする。
「今日は結構手強かったな……」
なかなか寝つかなかった今日の舞を思い出しながら、ドアを閉めて新しいパジャマに袖を通す。
俺も明日は学校だ。早いとこ寝直さないと……。
ベッドで安らかな寝息を立てる舞を見ながら、俺は口元をほころばせた。
時折、舞が苦しげな表情になる。
怖い夢でも観ているのだろう。
そんなときは決まって、
「大丈夫だ、舞。俺がそばにいてやるから。お前が飽きるまで、ずっと、ずっとそばにいてやるから」
と言いながら俺は、舞の降ろした髪を撫でる。
夢の中でも、舞が怖がらないように。ずっと、ずっと………。
「祐一、朝。起きて」
耳元で、舞の声が聞こえる。……ああ、そう言えば、昨夜は俺のベッドで眠ったんだっけな。
おかげで俺は、床で寝るハメになったんだが。
「祐一、朝。起きて」
……もう少し寝かせてくれ。
もう大学生のお前はいいかもしれんが、高校生の俺にとって目覚ましが鳴るまでの数分は貴重なんだぞ。
「祐一、朝。起きて」
……しつこいな。それに同じ台詞を飽きもせずに何回も……。
まるでお前が目覚ましみたいだぞ。
(………。ん?)
ふと心付いて、俺は体をくるんでいた毛布から這い出る。
部屋中ぐるりを見まわしても舞の姿はどこにもない。
だが、相変わらず舞の声は聞こえ続けている。
『祐一、朝。起きて』
声のする方に目をやると、いつもなら間延びした名雪の声を流すはずの目覚し時計が今日は舞の声を出しつづけている。
一度スイッチを押して目覚ましを止め、それを手にとってまじまじと眺めてみた。
カチッ。
『祐一、朝。起きて。祐一、朝。起きて。祐一……』
カチッ。
スイッチを入れ、また止める。どうやらいつの間にか舞が録音をし直したらしい。
(もしかしてあいつ、俺が毎朝名雪の声で起きてるのに妬いた……とか?)
そう考えると、何となく可笑しいような、嬉しいような、複雑な気分になる。
俺は目覚ましをいつもの場所に置くと、いつものように制服に着替え、一階に降りていった。
「おはようございます」
「あら、祐一さん。おはようございます」
「………」
食堂に入ると、いつも通りに秋子さんと、珍しく舞が先にいた。
秋子さんは何故か分からないがいつにもまして上機嫌だったが、舞は相変わらず無表情である。
いや、無表情と言うよりも、俺を避けているような気がするが……。
「祐一さん。今日の朝食はすごく美味しいですよ」
余程自信作なのか、秋子さんはにこにこしてそう言う。
「だって、今朝は舞ちゃんが作りましたから」
「……食えるのか?」
どがしっ!
言った瞬間、視界が自分の意思によらず思いっ切り下を向く。
無論舞のツッコミチョップだが……、痛いぞ、ものすごく。
「祐一、朝ご飯抜き」
しかも冷酷無情にそんな宣言までしてくれる……。
「だめよ、喧嘩しちゃ」
さらに秋子さんはそんな事を言うだけでフォローしてくれない。
流石に少しまずいかもしれない。
「冗談だって」
秋子さんがこちらに背中を向けているのをいい事に、俺は舞の首に腕を回して抱き寄せる。
やはり怒っているらしく、俺を見る目は非常に冷たい。
「そうそう。今朝は、お前のお陰ですっきり目が醒めたぞ」
何とか失態を取り繕おうと話題を変えると、案の定、舞は頬を紅く染めて視線を逸らす。
「後は、もう少し色気があれば完璧だったな」
そう言うと、舞はますます頬を紅くし、そっぽを向く。
そこへ、ちょうど寝ぼけ眼の名雪が、ふらふらと揺れながら食堂に入ってきた。
「さ、メシメシ」
何とかうやむやにして、俺は朝飯にありつく。
今朝のメニューはきんぴらごぼうに卵焼き、納豆に芝漬け、それとご飯に大根の味噌汁である。
この内きんぴらごぼう、卵焼き、味噌汁を舞が作ったらしい。
で、味の方はと言うと……。
「そこそこだな」
「美味しいよ」
俺の評価に、名雪が不満気に反論する。
まあ、確かにかなりいい出来ではあるのだが、いかんせん秋子さんの多芸振りや佐祐理さんの細やかさには及ばない。
それに……。
「やっぱり、将来祐一さんが一番多く舞ちゃんのお料理を食べるようになるんですものね。点数も辛くなるかしら」
「っぐ!」
内心で言おうとしていた事をまともに言われ、思わずご飯を喉に詰まらせる。
あ、秋子さん……。
「………」
真正面の舞を見ると、顔を耳まで赤くして下を向いている。
それでも余り表情を変えない所はもはや芸と言ってもいいだろう。
「ご、ご馳走様」
その場に居耐えなくなった俺と舞は、慌ててご飯をかきこみ、席を立つ。
その後を名雪が追いかけ、それを秋子さんがのんびりと眺めていた……。
そして、また何でもない一日が始まる。
その平凡な日々の合間に増えていく舞の笑顔。
いつか、その心を覆う氷が全て溶け去った時、彼女の笑顔はもっと屈託のない、明るいものになるのだろう。
その日が、少しでも早く訪れるためにも……、
今日も、善い一日でありますように……。
〜おわり〜
―あとがき―
これが私の限界……とは言いませんが、Kanonネタでこれ以上のものを作れといわれましても、ちょっと、無理ですね。
「…………」
あれ、佐祐理さん?
「酷いです」
エッ?なにが!?
そんな涙目になられても……。
「舞と私は一心同体なのに……!!」
そ、それが……?
「なんでシメが私じゃないんですか?」
え、エエっ!!
「だって、そうじゃないですか?」
いや……、一応主人公は祐一君ですし………。
「せめて、あとがきくらいは私にさせて下さい」
は、ハァ……。かまいませんが。
「では。次回予告です!!」
エッ!?
「次はこのさゆりんが主人公ですよ」
な、なんですと!!??
「題して、『獏とさゆりん』です」
です、って言われましても……。
「依存は?」
っちょっと!!佐祐理さん、彼方の後ろで控えていらっしゃる黒い服を着たいかつい男性達は誰ですか!?
「依存はありませんね」
なぁっ!!言い切らないで下さい!
「依存は……」
何で後のお兄さんがたが動くんですか!?って、その手に持っているのは……何?
「依存……」
なあ!?グロッグ30ですか!!そんなもん構えんでください!!いくら、材質がプラスチックで軽量だから女性でも扱える銃として知られているとはいえ、その威力は見た目以上にあって、防弾処理が施されているガラスを結構簡単に貫通させることが可能なんですよ!?
「…………」
依存はございません。
「あはははー。そうですか。私も血生臭いのは嫌いなんですよー」
そうですか……。
「では、感想を送るあて先でも……」
お願いします。えっと、アドレスは……。
「大丈夫です。知ってますから」
何故に!?
「えーと『clto@ezweb.ne.jp』です」
何でそんなにスラスラ言えるんでしょうか?
「あはははー。何ででしょう?」
もう、何も言うまい。
「では。次回は『獏とさゆりん』です!おたのしみにー」
あんた本当に佐祐理さんかえ?
「…………」
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