宵闇のこころ

 

 

 夕凪。

ふわりとなびいていた風が止んで、空気が和らぐ。

赤という色だけが支配する時。

それは、光に溢れ、生物が活発に活動するときでも。

闇に満ち、ほとんどの生物が息を潜め眠りにつくときでも。

そのどちらでも無くて。

ただ虚ろに、時が移り変わるだけの――何にも属さない時間。

だからだろう、そのほんの少しの時間にだけ闇と呼ばれる魔がはびこる。

それは、妖怪としてだけではなく。

じわり、じわりと。人の心さえも魔が蝕む。

やがて虚ろな心は邪な考えへと巡りゆく――

――それは、昔の話

――季節は夏

――時は夕刻

たいそう深い山の奥に男が一人、そしてその後ろに女が二人歩いていた。

男の名は柳也といった。

各地を放浪していた正八位衛門大志、柳也は今、翼人、神奈備命の随身としてこの場にいる。

そう、神奈は名に示すとおりに翼をもつ人である。

翼人とははるか昔よりいると言われる人にして人にあらざる者達の呼名。

彼らは古よりの知識を継ぎ、面妖な力を使い、そして何より背中にある翼がその証。

それ故、彼らを怪(あやかし)と呼ぶものもいる。

しかし、その存在はまさしく神に近しいものだろう。

となればその身の美しさは――、と人々は思いを馳せた。

肌はびろうど瞳はめのう涙は金剛石、そのやんごとなき美しさはまさしくあまつびと

――ということはなく、夢物語に終ることを柳也は知っている。

何故か。

それは柳也の少し後方を見ればおのずと分かることだろう。

山道を歩く柳也の後に続く、どこか幼さを残す女童。

その身に纏う上質な巫女装束さえなければそこらにいる村娘とたいして変わらないだろう。

だが、その背には明らかに人とは異なるものがあった。

純白の羽――、飛べない翼が、確かにそこに。

一見村娘、実際は翼人。

この女童こそ神奈、翼人神奈備命であった。

すぅ、と森の木々に赤よりも黒に近い影が射した。

空に広がる夕焼けの赤も、同じように染まっていく。

光が減り足下が暗くなったせいか、突然に神奈がバランスを崩して転びかける。

「あっ」

その声に柳也は振り向くが、その動作には間に合わない。

それはもう神奈が地面に倒れる直前に、

「ご無事ですか、神奈さま」

神奈の付き人である裏葉がしっかりとその体を支えた。

「う、うむ、大丈夫だ」

その言葉遣いに含まれる曖昧な威厳は、やはり神奈には不釣合いだと柳也は思う。

だが、まあいい。これもある意味神奈らしいと思う。

神奈は裏葉の支えから離れると、衣を整えた。

その顔には疲労が色濃く表れている。

それは裏葉も然りだ。もっとも、彼女はまったくそれらしい顔はしていないけれども・・・。

夕焼けの光が、また一つ闇に消えた。

柳也自身、もうそろそろ宿をとろうと思っていた。

それは彼女達を気遣ってのことだが、もうひとつ柳也もまた苦しんでいたのも理由なのだろう。

だけどそれは、神奈や裏葉のようなそれでは無いものだった。

精神的で時で言えることのない疲労こそが柳也を苦しめていた。

柳也は気づいていない。

自分自身が苦しんでいることに気づいていないのだ。

否。

心の奥のほうに、できるだけ追いやろうとしているだけだ。それも、無意識のうちに――

――柳也はすぃと上を、赤みがだいぶぬけた空を見上げる。

空は黒をベースとしたなんとも形容しがたい赤い色をしていたが、柳也はそれもまた良く思えた。

「ふぅ・・・」

柳也の口から息が漏れる。

夜はまだ、訪れてはいなかった。

 

 

――「ふぅ・・・」

少しづつ赤みが消えていく空を見上げて、俺はため息にも似た息をはいた。

今日はもうここいらで休んでおいたほうがいいだろう。

神奈を連れ社を抜け出て、約二日が経った。もう追っての気配は微塵もなくなっている。

もっとも、そのぶん待ち伏せの数は増えているがそれは後で考えればいいことだ。

今は、それよりも――

「柳也どの?」

「んああ」

すこし、はっとする。

考え事をしている最中に突如として声をかけられたため、少々間のぬけた返事をしてしまった。

だが、それも当然だと気づく。

考えてみれば俺は宿をとる事を神奈たちに一言も言っていない。

これではどうしたのかと戸惑うのは当然のことではないか。

神奈たちに振り返り、

「日も暮れてきたからな、今日はここいらで宿をとることにしよう」

なかば決定にも似た提案をした。

宿をとろうと思ったのは日が暮れてきたのが本当の理由ではない。

まだ旅にもなれず、体力もあまり無い二人を思ってのことだ。

ただでさえ女人の旅はなかなか難しいのだ。

適度に休んでおかなければ、そのうち倒れてしまう。

それなのに、神奈は病にかかりそうになるくらいまで無理をしてしまうから困る。

――まったく、意地っ張りというか、なんというか。

病にかかってしまってからでは遅いというのに・・・。

「今日はここまでかの」

その思いも知らず神奈はまだいけると言わんばかりの言葉を言うが、その顔には疲労の色が濃かった。

やはりここまでにして良かったと思う。

先ほど神奈が転びかけたのは疲労のせいでもあるようだ。

「神奈さま、こちらに」

それを知ってか知らずか。(多分分かっているのだろう)

裏葉は座るのによさそうな石の表面を服の裾で払って、神奈に勧める。

「うむ」

すとん。

ぐうぅ〜〜〜。

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

それぞれが相手を見たまま沈黙が訪れる。

その中で俺は石に座っている神奈を見やる。

「・・・神奈・・・」

疑惑のこもった視線に気づき、神奈は全身で否定をする。

「ちっ違う、余は腹の虫など鳴らしてはおらんぞっ!!」

「なに、気にするな。おまえが食い意地がはっているのは皆もとうに知っている」

「ち・・・違うと言うておろうがっ!」

「・・・本当か、裏葉?」

「もちろん、空言にございます」

俺の問いにすんなりと答える裏葉。

「やはりそうか」

「違うっ、断じて違うぞっ!」

俺の問いに顔を真っ赤にして否定する神奈。

実に対照的なコンビだと思った。

「――だが、今日の朝も昼もグーグー鳴らしていただろ」

そう、神奈には前科があった。

特に昼は「飯を食わせろ」と鳴く腹の音でオーケストラができるほどだった。

「くうっ・・・」

事実だけに否定できないと見える。

「柳也さま」

うう・・・と唸る神奈を見かねて、裏葉がフォローに入る。

「神奈さまは育ち盛りでありますゆえ、それも仕方なきことかと」

「う、うむ。そうであろ、そうであろ」

「・・・その割には胸が育ってないな」

「くうっ・・・」

事実だけに否定できないと見える。

しかし、どうにも納得できないらしく気分が収まらないようだ。

神奈の顔は傍目にもわかるほどに赤くなっていく。

「どうした、病にでもかかったのか。顔が赤いぞ?」

挑発。

ぶちっ

そして――噴火

「このぉ―――――――っ!!」

間があいて、

「うつけものがぁあああああ―――――っ」

その声はびりと大気を震わせ、森がざわめいた。鳥も慌てて逃げていく。

「さて、そろそろ飯にしようか。裏葉」

「そうでございますね」

だが、その怒りを平然と流して飯の支度を進めていく。

やはりこいつほどからかいがいがある奴はいないと内心思い、そして、それと同時に頭をよぎる――

――オレハナニヲヤッテイル――

確かに、そう思ったのは、ほかでも無い俺自身の確かな心だ。

忘れて・・・、いや、考えないようにしていたのだが・・・いまさらになって何故か?

・・・おそらくは、状況の変化のせいだろう。

いつ追っ手が来るか分からない時ではなくなってできた余裕、それこそが魔がつけいる隙。

ぐらりと心が揺らぐのが分かったが、何とかおし止め、考えないようにした。

「くっ、くっ、くっ」

横ではものすごく悔しそうに神奈が地団駄を踏んでいる。

とても貴人(仮)のすることとは思えない。

「どうした、神奈。御飯だぞ。嬉しくはないのか?」

「・・・余は別に腹など空いておらぬっ!」

ぐうぅ〜。

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」

視線が神奈に集中する。

「・・・さ、用意もできたことだし食べるとしようか」

「そうでございますね」

「・・・し、仕方ないの。柳也殿は食い意地が張っておるからな」

「・・・裏葉」

「もちろん、空言にございます」

意思の疎通はばっちりだった。

「くうっ・・・」

最後まで弄ばれ続けた神奈は悔しそうにしながら乾飯を飲み込んだ。

その苦々しい表情を見て、思う。

――そうだ、今はそのことを考えてはいけないのだ。少女に与えられた時を壊してはいけないから――

 

 柳也と神奈の掛け合いが続きながら、食事は進んでいった。

その光景は、おそらく誰が見ても家族だといえるような光景であった。

悲しきことだ。因果なことだ。

神奈にとって、後々続いて欲しいと思い望んだのがまさにこの時であるのだから。

――柳也は気づかない。

自分自身の闇が時とともに、無理やり抑えるのとともに広がること。

そして、そのことに気がついていた裏葉のことを。

――柳也は気づかない。

 

 

 昼間とは違った、すこし涼しげな夏の空気が身体に心地いい。

夜半。

もう既に、裏葉と神奈は眠ってしまっているだろう。

一人になりたかった。

心の中に蠢き混ざり合う思いに、どうにかして決着をつけたかった。

それは・・・例え、どのような答えが出ようとも、だ。

普段から各地を放浪しているおかげか、夜目は効いた。

そして、微かに聞こえる水の流れていく音は確かにこちらの方角からだと思う。

目の前を覆い尽くす木々。

消えて。

意外と広い空間へと俺は身を進めた。

「ほぉ・・・」

自分の口から声が漏れでた。感嘆の声。このような場所があるとは思いもよらなかった。

そこは川の始まり。

小さき池と、湧き出る清涼な清水と、それに映る月がまた美しかった。

森の中の小さな広場。

中空にぽっかりとあいた穴の先の月は、満月でもなく、三日月でもない、中途半端な下弦の月。

それでも漏れる充分な光の輝きが俺の身を照らした。

俺は無遠慮に草の上に腰を下ろした。

ごろりと地面に寝転がる。

見えるのは月。

今は確固としたものがない、中途半端な月。

今の俺の、心の迷い。それは――

――・・・・・・何故俺は神奈にかまったのだろうか。ということだろう。

考えるなと、心のどこかで叫ぶ自分がいる。

否。

今だからこそ、考えなければならないと俺は思う。

俺は何故、神奈に命を預け、随身として、神奈を守ろうと思ったのだろう。

まず自分の身をわきまえろ。

俺は最強の剣士でも正義の味方でも、不思議な力が使える戦士でも無い。

各地を放浪し、人を殺してでも生き延びようとした、ただの――

――ただの人を殺したことがある男だ。それだけでしか、ない。

俺はいままでに誰かを守ろうとなど思ったことがあったか?

ない。

これと同じようなことは無い事も無かった。

だが、その時の俺は逃げた。特にやることに対して意味が無かったからだ。

――じゃあ何か。今あることには意味があるというのか?

俺は英雄になりたいのか?

否。それならば神奈を敵に突き出せばいい。そうすれば俺は英雄になれる。

偽善か、己の身勝手な哀れみでそうしたのか?

否。そうじゃない。そうじゃないはずだ。それだけならば過去にもあった。

ならば何か。翼人に、神奈に惚れたのか?

否。――いや、本当にそうだといえるのだろうか。あいつのことをなんとも思っていないのだろうか。

ただぼんやりと、だけど明確に思いは流れていく。

月。

そう、まるで俺は今中天に浮かぶ月のようだな。

自分自身がどのようなものになればいいか迷っているような、中途半端な月。

本当は俺は――

がさ。

草の鳴る音。

その音に反応してすぐさま思考を中断しそばに置いておいた刀を構える。

月の光が、闖入者に降り注ぐ。

「柳也どの・・・?」

「・・・神奈、どうしてこんなところに?」

「どうしたもこうしたもあるものか。見てみたら柳也どのが消えていて驚いたぞ」

そうか。よく考えれば昨日は俺は見張りをしていたし、必ず常に傍にいた。

それで俺が消えたと思ったのだろう。これもまた、余裕が出てきたせいだといえる。

「・・・ああ、それは・・・すまなかった」

「いや、謝ることはない。柳也どのにも息抜きは必要であろ」

そういって、俺の近くまで寄ってくる。

月の光に巫女装束があいまって、その姿はどこか神秘的な面持ちを見せていた。

神奈が地面に座ったので、俺もそうすることにした。

「綺麗なところだの」

「・・・そうだな」

「柳也どのは以前からここを知っていたのか」

「いや、ぶらついていたらここを見つけてな、すこし眺めていたところだ」

「・・・そうか」

言葉が途切れる。

水面に木の葉が落ちて、波紋を作った。

「・・・柳也どの」

その声音はの変化に戸惑い神奈を見る。

悲しみ、そして愁いを帯びた表情。美しいが・・・切ない。

「柳也どのは、余の・・・余の随身になったことを後悔しておるのか?」

「―――!?」

「裏葉が、言うておった。『柳也さまは自らの闇に戸惑われております』とな」

口調こそ静かだが、その言葉には絶対的な力がこもっていた。

どうだ。

俺は、神奈に・・・神奈備命に誓ったことを後悔しているだろうか。

――違う。そう、それは絶対に違う。

「神奈、俺はお前に誓ったことは微塵にも後悔していない」

「・・・それは、本当か」

「嘘を言ってどうする」

「あ、いや。・・・それもそうだの」

だが、それは神奈に忠誠を誓った理由では――なかった。

しばらくの間、俺たちは泉に浮かぶ月を見て、ただそこに流れる時を感じていた。

俺たちの間に交わされる言葉は無く。静寂が夜の闇に満ちる。

ふと横を見ると、じっと空を見つめる神奈の横顔があった。

その顔は何かを思うかのように堂々として、そして淋しげだった。

「柳也どの、この泉はどこから来ておるのだ?」

「そう・・・だな、いうなれば地の底からと言ったところか」

「地の底には水があるのか!?」

「いや、何処にでも有るわけじゃないがな・・・」

苦笑しながら答える。

神奈はこの世のことをあまりに知らなすぎる。

それは社の庭に出ることさえ用意では無かったからだろう。

それが幸せなのか、不幸なのかはわからない。

この世には知らなくてもいいどす黒い闇が多くあるからだ。

だからこそ、神奈はここまで純粋な心をもっているのだけれども。

「柳也どの、この泉の水は飲んでもよいのか?」

「大丈夫だ、神奈ほど健康な女童はいないからな。腹など壊さぬ」

「・・・それは誉めているのか貶しているのかようわからんの」

「貶してるんだ」

神奈が眉をひそめた。表情がすこし厳しくなる。

「まぁ、湧き水だから飲んでも問題ないのは本当だ」

そういうと、神奈は立ち上がって泉のほうへと近づいていった。

途中「まったく、このうつけが・・・」とか何とかぶつぶつ言っていたのは気にしないことにする。

神奈が水辺につくと、泉に変化がおきた。

――ぽぅ

光が、ひとつ。またひとつ。

それはどんどん増えて、夜の闇を明るく照らしていく。

「・・・り、柳也どの・・・これは?」

「――蛍だ」

水辺に淡く輝く光がふらふらと揺れて、神奈の肩へと止まった。

神奈はそれを珍しそうに見る。

「・・・これは『ほたる』というのか?」

「ああ、水が清いところにいてな。夏にはこのような光景がよく見える」

「・・・この『ほたる』光っておるぞ・・・」

「そういうもんなんだ」

泉の中心に蛍の光が集まりだす、やがては光り輝く光球のようになった。

「綺麗だの・・・」

「ああ」

無意識のうちに、すこし気の無い返事になってしまった。

――そう、この光景は確かに綺麗だが、俺にはもう見慣れてしまったものだ。

だが神奈は初めて見たのだろう、自然の美しさ、野に生きる生物達。

それら全ては神奈にとっては新鮮なものとして心に残る。

神奈は、あまりに些細な幸せを、小さな感動を感じる機会が少なかったのだろう。

だからか?

――だから俺は神奈を哀れんでいるのか、それが理由なのか?

違うと、心のどこかで思う。

だが、完全に否定できない自分がいるのもまたどうしようもない事実だった。

神奈は、足だけ水に浸かりながら、蛍の光の中で、その光景に心を奪われていた。

それに反して、俺の心は光の無い闇の中空へと浮いていた。

その心に、闇が染み込む。

――逃げて・・・しまおうか?

――きっと、俺などいなくても大丈夫に違いない

――何より・・・俺がここにいる理由がわからない

――逃げてしまえば、何も考えなくてもすむ

――逃げてしまおうか?

どうしようもないほどの闇が心に襲い掛かる。

不安と矛盾。そして、意味。

何もかもが・・・自分のことなのに全くわからない。

ちゃぷ。ちゃぷ・・・。

水音。

神奈が腰あたりまで水に浸かっていた。

そのままではけしておぼれることは無いが、足を取られたらそうとは言い切れない。

逃げようとか思っていたのに神奈の身を心配している自分がおかしかった。

「か――」神奈と言おうとして、目を奪われる。

光が。

明るいというより、雪にも似た潔白さをもった白い光が。

神奈の周りでゆら、ゆらと舞う。

その只中で。

神奈はただ、寂しげに微笑んでいた。

ぞく、と背中に鳥肌が立つほどの美しさだった。

光に照らされて、白さが際立つ神奈の何かを思う寂しげな顔。

それを見ると、心に波が起った。

これと同じ表情をした神奈を・・・俺は見たはずだ。

・・・いったい、いつだったか。そんなに前でも無いのに何故か思い出せなかった。

ぼんやりと、光の中で立っていた神奈の唇が微かに動く。

「・・・この、風景を・・・」

その呟きは、この静けさの中なのに消えそうに儚い。

「・・・母上にも・・・見せたかった」

神奈は、微かに微笑んでいた。

なのに――、その瞳の映る先はどこか悲しみを帯びていた。

青白い月と、蛍の光に照らされたその姿は、ほんのすこし触るだけで壊れてしまいそうだった。

輝く光。

月の光。

悲しみと憂いと、どこか寂しさを感じさせた神奈の顔。

満月の夜に神奈が見せた、意地の向こうの真実の思い。

それを、知って。

俺はあのとき――何と思った?

俺は神奈を哀れんでいたのか。それとも、神奈に恋したのか?

――どちらでもない。

いや、どちらであろうとかまわないと、今なら断言できる気がした。

翼人と言うだけで社に閉じ込められた、神奈。

どう見ても、平凡な、そこらへんにいそうな女童であるというのに。

心からの神奈の願いは――

 

――母上に会いたい――

 

何と些細で・・・何よりも重い願いだろうか。

この少女にはその程度の些細な幸せも約束されなかった。

――なら、俺が

神奈の幸せを、笑顔を、大切な時を少しでも創り、守ってやりたい。

あの時――俺はそう、強く思った。

そのことは、俺にとっては考える必要など無い大前提に、いつのまにかなっていた。

――俺は馬鹿だな

答えは日常としてそこにあり、迷いは初めから戸惑いですらなかった。

ただ、あまりにも当たり前すぎて気がつかなかっただけなのだ。

俺が神奈とともにいる理由は、確かにそこにあった。

俺の手に一匹の蛍が止まる。

四散した思いが身体に戻ってきたような気がした。

俺は、まだ水の中にたたずむ神奈へと声をかける。

「神奈、そろそろあがらないと病にかかるぞ」

「・・・しかたないの」

ちゃぷ、ちゃぷ、ちゃぷ。

神奈はしぶしぶ水の中から出て来た。

それでも俺の言うことを聞いたのは一理あると思ったからなのだろう。

「・・・肌に張り付いて気持ち悪いぞ」

「自業自得だろ」

「むぅ」

やはり、事実だけに反論できないと見える。

「・・・神奈、絶対に母親には会わしてやる。そしたら・・・」

すこし、微笑む。

「この場所にもう一度来よう」

俺の言葉に、神奈はしばらく固まる。そして――

「そうだの・・・母上にもこの風景は見て欲しい・・・」

「ああ、絶対に・・・見せてやる」

例え、この俺の命が尽きようとも、それだけは絶対に叶えてやる。

俺はそう――お前に誓ったんだからな。

「神奈、とっとと戻るぞ、裏葉が心配してるかも知れん」

そういって、俺は来た道を戻りだした。

「柳也どの・・・感謝する」

「・・・そう思うんだったら、痴れ者とか言うのはやめてくれ」

俺は、もう迷わない。

今のような、神奈の笑顔を守っていくと決めたから。

俺は――絶対に迷わない。

 

この泉に、また静寂が満ちた。

二人の去って行く姿を、蛍の光は最後まで見送っていた。

それが、今生の別れであるかのように・・・

 

そして――

 

 

―――――――約束は永遠に果たされることは無かった・・・

 

 

END

 

 

あとがき

 獰猛。霧月です。

結構久々に小説を書き上げました。いかがだったでしょうか?

今回――柳也どのです。AIRのSUMMER編の物語です。

実は私、このお話ずいぶん好きです。だいぶ前から書きたく思っていたのですが――問題が山積みです。

神奈の話し方はよう分からんし、話にあまり隙がないし・・・。

――きっともう書けません(SUMMER)。

さて、最後まで読んで頂いただけでも・・・ひっじょおおおおお――に嬉しいのですが。

感想のメールを m-nono@mud.biglobe.ne.jp までくれるとなお嬉しいです。・・・ではでは。

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