tire2(午前)

 

 

 

 

 自分が夢を見ているんだということが何となく分かった。

 でも、その夢では、当事者であるはずの俺がどこにも居なかった。

 だから、これは夢に違いなかった。

 だが、本当にそうだろうか。

 夢とは、自分の願望か予知夢か、もしくは過去に起こった出来事だと言う。

 俺が登場しない限り、願望ではありえないし、後の二つにしても何かがおかしかった。

 だから、これは夢に違いなく、夢であるはずが無い。そんな夢。

 映画館に行ったら客が誰も居なくて、ただフィルムだけがカラカラと廻り、映画を写している。そんな感じ。

 そこでは俺だけが唯一の観客だった。

 そんな幻想を抱きながら、俺は見るはずの無い夢を見る。

 

 

 

 

 

 その朝、起きたら知らないところに居た。

 いつも意外と言われるがあたしは結構出不精で、そのせいか地理にはとんと疎い。

 でも、何となくここが家の近くだと直感的に思った。

 でも、違うかも知れない。適当に歩いていたら迷うかも知れない。

 ちょっと不安になりながら、でも、分からないことがあるなら人に聞くべきだと知っていたので、通りすがりの誰かに声を掛けた。

 無視された。

 ちょっと腹が立ちながらまた別の人に声を掛けた。

 やっぱり無視された。

 結構腹が立ってきた。やっぱり不景気のせいか日本人の心は冷え切ってしまったんだろうかと嘆き、また声を掛けた。

 無視された。

 声を掛けた。

 無視された。

 すごく不安になりながら、次こそはと思って声を掛けた。

 無視された。

 何故か一人ぼっちにされたような気がして泣きたくなった。でも声を掛けた。

 無視された。

 泣いた。やり方が悪いんだと自分を励まし、今度は誰かの肩をぽんと叩いて呼び止めようとした。

 

 するりとすり抜けた。

 

 どういうことか分からなかった。驚いた。涙も止まってしまうぐらい驚いた。驚いて別の人の肩を叩いた。すり抜けた。

 そうしてようやく気付いた。自分の姿がうっすらと透けていることに。

 

 …それからのことはあまり覚えていない。

 ただ何か叫んで、辺りをむちゃくちゃに文字通り飛び回った。

 少しでもあたしが知っているものに、あたしを知っているものに会いたくて夢中になっていた。

 そして、やっと自分の家を見つけた。

 自分の部屋に入り、時計を確認する。ちょっと、いやかなり遅刻だったけど、まだ辛うじて朝なんだから学校に行こうとして、どうしてか私服だったので制服に着替えようとして、でも、物に触ることすら出来なくて。

 泣きながら、みっともなくわめきながらハンガーにかかっている制服を必至に持ち上げようとして。

 一時間ほどかかって、ようやく制服に着替えた。

 そして、何故か居ない家族に首を傾げながら学校に向かった。

 本当は自転車通学だったが、どうせ乗れないと思って飛んで行った。

 自分が地面を踏みしめていないことに不安を覚えて、一メートル進むごとに現実が壊れていくような気がしたけど、かまわずに進んだ。

 学校が見えてきて、そんな不安は吹っ飛んだ。友達に会えばいい。遅刻したって先生に謝ればいい。そうしていつも通りの生活にもどればいい。

 そう思って校門をくぐった。

 

 学校には、誰も居なかった。

 

 どこの教室もカラで、時計だけがちくたくと無機質な音を奏でながら正確に時を刻んでいた。

 不安になって学校中を飛び回った。

 職員室から気配がした。いつもは躊躇する場所だけど、今回は迷わず入った。

 知らない人が居た。

 カタカタと急がしそうにノートパソコンのキーを叩いてた。

 声を掛ける。反応しなかった。

 肩に手を置こうとする。触れなかった。

 何となく直感して、職員室にある小さめの黒板を確認した。もう春休みに入っていた。

 

 春休みに入った学校には生徒はなく、先生も一部しか居ない。今日の担当の先生は新任で、あたしとは面識がなかった。

 

 途方に暮れた。一体どうなっているのか分からなかった。

 夢だと思いたかった。夢じゃないと直感していた。

 帰りたかった。どこに帰ればいいのか分からなかった。

 死にたくなった。死ぬ術すらあたしには無かった。

 もう何もしたくなかった。

 でも、何か疲れて、

 せめてどこかで休もうと思った。

 いつの間にか薄暗くなっていた夜空の下をぶらぶらと浮かんで、ふと、目に付いた建物に入った。

 もうどうでもよかった。

 ただ暗いところを探した。

 暗い部屋の、そのまた暗いところ。押入れの中すり抜けてに入った。

 目を閉じた。

 ただ、今は眠りに付こう。難しいことを考えるのも、絶望するのも明日すればいい。

 だから、今日は、もうたくさんだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めた。

 とりあえず、枕元に置いてある目覚まし時計を手に取り、時間を確認する。

 ぴったし六時。

 うん。いい感じだ。引っ越しても体の機能には大して影響しないらしい。

 保険のために六時半にセットしてあるアラームを解除して、起き上がり、布団をたたむ。

「はて?」

 そこで首を傾げる。

 何かの夢を見たような気がする。いつもはおぼろげながらどんな夢を見たのか覚えているはずなのに、今回は全く思い出すことが出来なかった。

「むぅ」

 気になる。一体どんな夢だったか。

「…………………………………………………………ま、いいか」

 たっぷりと数分悩んで、絶対に思い出せないと割り切る。

 押入れを空け、布団をしまう。布団は下の段にしまってあったのだが、上の段に片付けることにする。

 昨日、布団を出してから下の段にはいろいろと物を入れてしまったからだ。

 よいしょとばかりに力を入れて布団を持ち上げる。そのまま上の段へ。

「ぐえ」

 仕舞ったところではたと気付く。

「あ、忘れてた」

 そういえば、何かよく分からん幽霊が住み着いていたような気がする。

「………」

 はて、

 昨日は寝起きのままで接していたからあまり不自然には思わなかったが、今考え直してみると奇妙な話だと思う。

 だって、幽霊だぞ?

 んなもんは今まで十八年間生きてきて一度もお目にかかったことなんてないし、テレビの話も胡散臭いと思ってチャンネルを早々に変えていた。

 はっきり言って眉唾だ。

 仮に俺が十年来の親友に「僕、今幽霊と同居してるんだ」などと言われたところで到底信じないし、ともすれば相手の正気を疑う。

「重い…」

 布団がもぞもぞと動く。考えにふけっていてどけてやるのを忘れてた。

「すまん」

 謝りながら布団を一旦床に下ろす。見たところ、幽霊…さやかは起きなかったようだ。

 みっつにたたんだ布団を乗っけられてなお目覚めないとは見上げた根性だが、きっと生前は低血圧だったんだろう。

 とりあえず仕舞う場所が無いので、部屋の隅に布団を置く。多少だらしないが仕方が無い。

「さて、と」

 本当ならさやかを起こしていろいろと訊くところだが、何かこんなに気持ちよさそうに寝ているのを起こすのも気が引けるので、先にいつもの日課をこなしてしまうとしよう。

 

 

 

 

 

「はっは、ふー」

 というわけで毎朝の日課であるロードワークに勤しんでいる俺である。

 毎日やっていることだが基本的にコースは決めてなく、自由気ままに一時間程度走ることにしている。

「あ、おはようございます」

 途中で犬を連れた女性に挨拶された。

 この近所に住んでいる竹田さんだ。夫婦でこの辺りでは有数の酒屋をやっていて、酒豪の師匠やそれなりにいけるクチの俺とも交流が深い。

 愛犬の名前はコンバット。微妙に物騒な名前だが、基本的におとなしく、朝以外は眠っている駄犬だ。毛並みのいい柴犬で近所の子供たちにも人気は高い。

 ところで、竹田さんはいつも眠そうに散歩している。

 以前訊いたところ、低血圧で朝弱いのを克服するために散歩をしているらしい。効いているのかいないのか、今日もやっぱり眠そうだ。

 コンバットもいつもながら眠そうで、見ていてなんか危なっかしい。

 一度なんぞ、目の前で派手に車にハネ飛ばされてド肝を抜かれたことがある。

 奇跡的に無傷だったのはひとえに彼女の日頃の行いのおかげだろう。

 

 挨拶をしたいところだが、息が辛いので、軽く会釈して通り過ぎる。

「がんばってくださいねー」

 後ろから眠そうな声援。振り返らずに手を振って答えた。

 

「はっは、ふー」

 呼吸は二回吸って一回吐く。それが俺の基本だ。どういう呼吸法がいいのかは知らないが、とりあえずこれが一番やりやすいので、ずっとこういう風にしている。

 前に友人に『ラマーズ法みたいだな』と言われて微妙にヘコんだ覚えがある。

「ふー、ふー」

 一時間ほどでアパートに帰って来れた。足を止めて、肺の中の息を吐きつくす。

 とりあえず、走るのをやめるときはいつもこうしている。やはりただの習慣で、特に意味はない。

「よし、終わりっと」

 適当なダウンを終えて、ぎしぎし鳴る階段を上がり、部屋に戻る。そろそろあいつは起きただろうか。

 

 一応起きてはいた。部屋の真ん中辺りで眠そうにふわふわと浮いている。帰ってきた俺を見つけると、目をこすりながら挨拶をした。

「ふぃ、おはやう」

 寝起きのせいか、微妙に呂律が回っていない。

「おはよう。よく眠れたか?」

 幽霊相手にそんなことを訊くのもどうかと思いながら、一応訊いてみる。そもそも幽霊って寝るんだな、などと今更ながら思った。

「ひちほうね」

 あくびしながら答えるさやか。いちおうと言ったのだろう。たぶん。

「それは良かった。じゃあ、とりあえずいくつか訊きたいことがあるんだが、いいか?」

 さやかはきょとんとして、

「うん、いいけど」

 そう答えた。

「じゃあ、まず。どうして透けてるんだ? お前」

 さっき見たときは透けていなかったが、今のさやかは半透明で、微妙にうしろの壁が見えていた。

「そんなの当たり前じゃない。だってあたし幽霊だし」

 何を今更、とばかりに言うさやか。よく分からないがふつう幽霊は透けているものらしい。

「いや、さっきは透けてなかったんだ。お前は寝てたから知らんかもしれんが」

「え、うそ」

「いや、ホントだって。たしか昨日だって…」

 そう言いながら気付く。そういえば昨日も確かに透けてはいたが、最初の方は透けていなかったかもしれない。

 さやかはうーんと何やら考えて、ぽんと手を打った。

「ああ、実体化しているときは透けないだよ。たぶん」

「実体化?」

 そう言えば、昨日も何かそんなようなことを言っていたような気がする。

「えっと、説明するよりはやったほうが早いか」

 言うが早いか、さやかの薄かった体が見る色を帯びていき、後ろの壁が完全に見えなくなった。

 さやかはそのまま俺の傍まで来ると、俺の肩をぽんぽんと叩いた。ふわふわ浮いていた体も、今ではちゃんと足で床を踏みしめて立っている。

「ほら、ちゃんと触れるでしょ? これが実体化。やるのは結構疲れるんだけどね」

 よく分からないが、その実体化をすると、物にも触れるし、重力の影響も受ける。しかし、それでもどういうわけか普通の人間には見えないらしい。

 あと、寝ているときは無意識のうちにやってしまうんだとか。

「はぁ、よく分からんが便利だな」

 幽霊は生前に未練を残した者が、自らの願いを果たすために現世に残ったものだと聞くが、無理して世界に留まるんだから、もっといろいろと制限を受けるものだと思っていた。

 人間には見えないとはいえ、これなら世の中(?)の幽霊たちは結構手軽に目的を果たして成仏できるのかも知れない。

「なるほど、じゃあもうひとつ、どうしても訊いておきたいことがあるんだが…」

「うん、何?」

 俺は台所に目を遣って言った。

「お前はメシを食うのか?」

 

 

 

 

 

 引っ越す少し前に買った、足が折りたためる便利な座卓の上には今日の朝食二人分が並んでいる。

 まあ朝食といっても、即席のカップラーメンと漬物だけだ。

 本当は米とかパンとか、もっと腹にたまるものを食べたいところだが、炊飯器もトースターもまだ無いため仕方が無い。

 ちなみに漬物は師匠が作ったもので、引っ越す前に餞別とばかりに渡されたものだ。結構食べたが、まだ大量に残っている。

『いただきます』

 ガスで沸かした湯を注ぎ、しっかりと三分待ってから二人そろって言う。

 信じがたいことだが、幽霊(こいつだけかも知れないが)はメシを食うらしい。

 確かに実体化すれば食べれるんだろうが、

「実体化が解けたとき悲惨なことになるんじゃないか?」

 と、消化されかかった食べ物が床にぼとぼと落ちるという惨状を思い浮かべながら訊いたところ、

「? 別に今までそんなことは無かったけど」

 などと普通に答えが返ってきたため、飯抜きというのも可哀想だし、一緒に食べることにしたと言う訳だ。

 よく分からんが普通に食べれるということは、体内に取り込まれた食べ物が何か霊的な物質に変化するからなのかも知れない。

 

 ずずずと麺をすする。

 カップラーメンの味は好きだが、体に悪そうなのであまり食べないようにしているため、食べたのは実に数年ぶりだ。

「うーん。これ、イマイチね…」

 さやかは繭に皺を寄せながら麺をすすっている。

 ちなみに今食べているのは『カップラーメン、北海道の塩味』だ。本当に北海道で塩生をしているのかどうかは知らないが、そんなに不味くはないと思う。

 というか、即席麺の味なんて種類によってそう変わるものじゃないと思うが、

「そうか? 結構うまいと思うが…」

 そう言うと、さやかはむっと不機嫌そうな顔をして、

「そんなこと無いわよ。これはてんで駄目ね。Cマイナスだわ」

 少し頭が痛くなる。即席麺に味のランク付けまでしているのかこの幽霊は。というか幽霊って一体。

「どしたの? 頭抱えて」

「いや、別に。幽霊についての存在意義について脳内論議してただけだ」

「そう。それならいいけど」

 何がいいのかは分からんが、そう言ってさやかは再びラーメンを不味そうにすすり始めた。

 

 

 

 

 

「よし。じゃあ、行くか」

 簡単な片付けを終え、一服してから言う。

「どこに?」

 部屋の隅で髪をいじっていたさやかが興味深そうに振り返る。

「ああ、ちょっと買い物にな。隣町の百貨店まで」

 まだ引っ越したばかりで何もないので、いろいろと調達に行かなければならない。健全な男子がひとり暮らしをするためには冷蔵庫も炊飯器も電子レンジも洗濯機もテレビも要るのだ。

 

 この町には大きな電気屋がないため、そういったものを買おうとすると、隣町まで行かなくてはならない。

 ちなみにまだ必要ではないが、エアコンは始めからこの部屋に付いている。

「というわけで留守番しててくれ」

 財布をポケットに突っ込んで言う。さやかは、

「確かにこの部屋何もないもんね。少なくとも人間の住める環境じゃないし」

 などとはっきりと言ってくれた。幽霊に言われるのはちとショックだが、確かに事実だと思う。

「まぁな。じゃ行って来るよ。昼には帰るから」

「うん。分かった」

 返事するさやかを一瞥して部屋を後にした。

 

 隣町と言っても距離的には電車で二駅分ほどなので電車代をケチるためにも歩く。ややあって、百貨店が見えてきた。

「…ちょっと早すぎたな」

 少し前に流行したGでショックな腕時計を見て呟く。

 開店は午前九時。今はまだ八時半過ぎだった。

 確か、以前は八時半ごろからやっていたはずだが、客が来ないため開店時間を遅らしたんだろう。

 とりあえず、どこかで暇でも潰そうと思ったが、この辺りの店は大体九時開店なのでそれも無理だった。

 少し遠くに喫茶店もあるが、そこまで行ってたら結構時間がかかってしまう。

「仕方ないな」

 呟いて、百貨店の敷地内の植え込みのところに腰を落ろす。三十分ならそんなに長くはない。

「………」

 待つ。

「………………………」

 待つ。

「………………………………………………」

 しかし、結構長いな。まだ十五分しか経ってないのか。

 いつも何かやっているため、何もしない時間があると何となく落ち着かない。

 手持ち無沙汰に耐えられず、立ち上がって辺りを見る。

「ん、あれは…」

 駐車場のある一点に目を止める。そこに見知った顔があった。

「ちっす」

 そこまで歩いて行って、声を掛けた。

「あれ? 三郎?」

 ワゴン車にもたれ掛かっていたその女性は振り返って俺を見た。

「ああ。どうしたんだミナ姉。こんなとこで」

「おじいちゃんに頼まれて買い物に来たんだけど…」

 言葉を切って、店のほうを見る。

 なるほど。まだ開いてなかったというわけか。

 

 この女性は斉藤美奈子。師匠の孫娘で、俺の姉のような存在だ。ちょっと前まで一緒に住んでいた。

 一昨年から家を出て知り合いの家に下宿し、東京の大学に通っている。今日は休日だから帰ってきていたんだろう。

「そう言えばおじいちゃんから聞いたんだけど、三郎って家を出たんでしょ? てっきりご両親のところに行ったんだと思ってたんだけど…」

「いやいや、それはないって」

 そもそも、既に俺とあの人たちは他人だ。少し前に師匠が半ば強引に裁判所に掛け合って親権を停止してしまったせいだ。海外から帰ってきていた両親も特に反論はしなかったため、何事もなく成立してしまった。

 ほとんどど会わない人たちだったので、そのときは俺も特に特別な感慨はなかった。

「今は一人暮らし、してる」

「うん。知ってるけど…でも、大丈夫なの? ホントにひとりで。そりゃあ三郎は選択も炊事もできるけど。何か変な人に騙されたりとか、押し売りとかお金のこととか…」

 心配そうに言うミナ姉。

 ミナ姉は心配性で、一度不安に思うとどこまでも悩んでしまうひとなので、俺が一人暮らしをしていると聞いて、心配でたまらなかったんだろう。

 家を出ること、もう少し早く伝えておけばよかった。

「でも、押し売りって最近流行ってるんじゃないの? ナイフとりんごを持ってくる人とか…」

 別に流行るようなものじゃないと思うが。それよりナイフとりんごって何だ。

「えっと、よく分からんが、それってりんごを買ったら剥いてくれるってことか?」

 ミナ姉は首を振る。

「ううん。ナイフで脅してりんごを売るの」

 想像する。………なるほど。

「大丈夫だって。そんなの来ても追っ払うし、バイトだってするから」

「ホントに? ホントにホント? お金なら私も少しは出せるけど…」

「だー、もう。大丈夫だっての。相変わらず心配性だな」

 ミナ姉はだって心配じゃないと口を尖らせて言った。

 まあ、俺もミナ姉が家を出る時は死ぬほど心配したのでその気持ちは分からないでもないが、俺ももう十八だ。

 大人…とはまだ未熟なので言えんが、子供ってわけでもないと思う。そろそろひとりでもやっていける歳だ。

「だから大丈夫だっての。あ、そろそろ開くみたいだな。先に行くから」

 そう言って返事も待たずに駆け出す。

「ああ、ちょっと三郎。待ってってば…、もう」

 呆れと、そして若干の安心を含んだ言葉を背中で聞きながら、俺は百貨店に入った。

 

 

 

 

 

 こんな時間にもかかわらず、百貨店の電気屋は人で溢れかえっている。

 我先に我先にと他人を蹴散らしながら進んでいく主婦の集団はどこか戦場を思わせた。

 こんなことになっているのは、この電気屋が今朝の朝刊に入れた折り込み広告のせいらしい。

 なんでもエアコンを始め、いくつかの電化製品を大特価で売りさばくんだとか。完全に原価割れしているだろうが、客寄せのためだろう。

 まあ、エアコンはすでにアパートに完備されているので 俺には関係の無い話ではあるが。

「ちょっと、どいてよあんたっ!」

 押しのけられる。

 むしろ迷惑な話だった。

「さて、どうするか」

 呟いて辺りを見渡す。ミナ姉の姿はない。どうやら撒いたようだ。

 久しぶりに会ったんだから積もる話もあるにはあるが、気軽に身の上話なんぞ使用ものならまた世話を焼かれてしまうかも知れない。

 

 昔からミナ姉はいつも俺のことを心配して、気にかけてくれていた。時には俺がどうしようもないようなことから身を挺して守ってくれた。

 俺はそれがどうしようもなく悔しかった。

 守られるということは俺が弱いということだろう。そんなのは嫌だった。俺はいつだって強くなければいけなかった。

 だって、そうじゃないと誰も守れない。

 弱い自分は何よりも嫌いだ。

 だけど、ミナ姉はいつだって俺の弱い部分を俺に気付かせてしまう。

 だから、俺はミナ姉のことが好きでたまらないのに、煩わしく思ってしまうことがあって。

『余計なお世話だよっ!』

 ありがとうと礼さえ言えず、当り散らしてしまうことがたびたびあった。俺もその頃はまだ子供だったから。

 そんなことがあるたびに、ミナ姉は少し悲しそうな顔をして、

『だって心配じゃない』

 といつものように言うのだった。

 それから俺も成長したはずだ。だから、昔のようにミナ姉に守られることはない。

 ミナ姉はあれでかなり苦労している。

 両親と師匠から多少の仕送りを貰っているとはいえ、大学の学費と言うのは高すぎる。学校に行っている時間以外は殆どバイトに費やしているはずだった。

 一方俺はと言うと、両親と親権が切れたときにいくらかまとまったお金を貰っていたので、当面は全く問題ない。もうすぐバイトも始めることだし。

 …不慮の事で食いぶちが一人増えたが、そのことはあまり考えないようにしよう。

 まぁ、そんなわけで余裕があるとは言えないものの、特にお金に困っているわけじゃない。

 だから、ここでミナ姉に頼るのは筋違いだ。むしろ、俺がミナ姉を助けなくちゃいけないぐらいだ。

 そうだ。今度、何かプレゼントを買ってやると言うのはどうだろう。バイト代を溜めて、貯金も使って、うんと高いものをプレゼントしてやるんだ。

 そうすれば、ミナ姉も俺が大丈夫だと分かってくれるに違いない。うん、そうだ。そうしよう。

 俺は決意を新たに、おばちゃんたちでごった返す電気屋に挑んでいった。

 

 まぁ、プレゼントとかの話はまだ先のことだから置いておくとして、今は考えなければならないことがある。

 とりあえずどうしても必要なものを整理しよう。

 まず冷蔵庫。これは絶対に必要だ。

 次いで炊飯器。言わずもがな。

 出来れば電子レンジ。食卓を彩るためには欠かせない。

 なら逆に必要でないと思われるものは何だろう。

 洗濯機。これは…近所のコインランドリーに頼れば多少は先送りに出来るだろう。急いで今買うことはない。

 テレビ。これは完全に贅沢品だし、今は全く必要ない。欲しくなったときに買えばいい。

 …こんなものか。必要なものが食卓関連のものばかりなような気もするが、仕方がない。

 昔から師匠のリクエストに答えて色々なものを作っていたため、食に関しては少しうるさいからだ。

 なら、とりあえず今日はこの三品目を購入するとしよう。

 財布の中には銀行で下ろしてきたお金が十万ほど入っている。今後のことを考えると、何とか全部で八万円以内に抑えたいところだが…。

「………」

 脳内でシミュレートする。値切れば何とかいけるか。

 そう判断した瞬間。

「あぁ、居たっ!」

 六時うしろからミナ姉の声。しまった。見つかったか。

 振り返らずにクイックスタート。我ながら惚れ惚れする判断力だ。

「あ、ちょっと。どうして逃げるのよっ!」

「追いかけてくるからだっ!」

 などと定番のやり取りをしつつ、俺は軽いフットワークでおばちゃんたちをかわして行った。

 

 

 

 

 

 部屋には人気がない。当然だ人が居ないのだから。

 しかし、人にあらざる者の気配なら若干ひとつ。

「暇だなぁ…」

 ヒマ幽霊こと、平安名さやかは本日何回目になるかも分からないせりふを吐いた。

 そうして部屋の中を何となくゆらゆらと浮かんで移動する。

「やっぱり着いていけば良かったかなぁ」

 外に出るのには若干の抵抗があるものの、三郎と一緒なら何とか耐えれそうな気がした。

「…まったく」

 もう外に出たいなんて思えている自分に少し呆れた。自分をてくれる人に会えたからかも知れない。

 前の人が出て行ってしまった時はもう寂しくて寂しくて、とても暇だなんて思う余裕さえなかったはずなのに。

 人間…いや、幽霊っていうのは結構強く出来ているのかも知れない。

「暇だなぁ」

 だが、寂しさよりは幾分ましとはいえ、暇というのは結構耐え難いものがある。

 とりあえず何もしないのも何なので、指先だけ実体化して、押入れの戸を空けてみる。

 自分の寝床があるだけで特に何も面白いことはなかった。

 下段には三郎の持ち物であろう何かが色々と転がってはいるが、こういうのを勝手に物色するのも気が引けるので、さやかは溜息吐いて戸を閉めた。

「早く帰って来ないかなぁ」

 そんなことを呟きながら時計を見上げる。

 

 

 

 

 

「十一時半か。結構かかったな」

 肩で息をしながら、時計を見て言う。

 それはもう疲れた。

 用事を済ませるのにどれほど苦労したことか。

 1、逃げる。

 2、撒く。

 3、品物を物色する。

 4、良さそうなものを探す。

 5、良いのを見つける。

 6、店員を捕まえて値段の交渉をする。

 7、途中でミナ姉に見つかる。

 以下、1に戻って繰り返し。

 別に見つかったからといって逃げることはないんだが、追いかけられると勝手に体が反応してしまうんだから仕方がない。

 結局こんなに遅くなってしまった。

 でも、八万円を少し出っ張ったとはいえ、かなり良いものが買えた。追い掛け回されて店内を隅々まで回ることが出来たからかも知れない。

 良心的なことに宅配サービスは無料だったので、アパートの住所を書いて店を出た。

 数日後には届くことだろう。

 途中でミナ姉は帰ったらしい。きっと追いかけっこの途中でこんなことしている場合じゃないことに気付いたんだろう。

「さて」

 他に寄るところもないし、さっさと帰るとするか。

 今から歩いて行けば、十二時過ぎには到着するだろう。

 

 

もどる。


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