ASUKA〜世は全て事もなし〜
キーンコーンカーンコーン
「それでは解答用紙を後ろから集めてください」
チャイムと同時に始まった本日の一限目、英語の定期テストはやはりチャイムと同時に終わった。
窓際、前から二番目の席に座っている浅生栄太は後ろから解答用紙を回収してくる男子生徒に『英語の結果』を渡してから、軽く背伸びをした。
「だめだ…」
今日は眠い。昨晩徹夜で勉強したのが悪かった。あまり集中できなかった上、睡眠不足で集中力切れ。今浅生はそんな状況の真っ只中にいる。弱音のひとつも出てこようというものだ。
嘆息してから机の中に入っていた当番日誌を引きずり出す。今日に限って日直が回ってくるなんて、自分もほとほとついていない。別にいいかげんな担任のチェックが入るだけなので、適当につらつらと文字を埋めていく。
「欠席者は…なし、と」
書き終わって時計を見ると現在九時三十二分。テストが終わってから二分の計算になる。
ふと見ると、自分の机が視界一杯に広がっていた。
「ごん」
自分が発した声ではない。眠さのあまり重力加速度に耐えきれなかった自分の頭と机とが奏でた一音だ。それで少し眠気が収まる。額をさすってから時計を見ると三十三分。このままじゃまずい。せめてこの眠気を取らないと…
「ふふ…眠そうだね」
声をかけられて前を見ると、同学年でクラスメートで女生徒で出席番号1番で名前はなんとか明日香で席が自分の前である女の子が椅子の背もたれにもたれかかりながら自分を見ていた。顔には笑顔。
「眠い…」
「寝るな」
頭をはたかれる。
「そう言えばあんた、昨日のタンデム見た?」
知り合ってから間もない上にわりかし可愛い外見なので『あんた』とか言われると結構違和感がある。
「見てるわけないだろ? 昨日は勉強してたってのに」
そもそもテスト前日にアニメを見ている人間の気が知れない。
ちなみに『タンデム』というのは今人気のアニメ『駆動戦記二人乗り(タンデム)』のことだ。ロボットアニメなので子供を中心に流行っているが、主人公がなぜか42歳会社員という設定なので、中年の男性にも人気がある。会社勤めの主人公が他の会社の『タンデム』や、『タンデム』に同乗している自分の上司の怒声、リストラの恐怖、そしてストレスから来る胃炎の痛みなどと戦いながら日々を生き抜いていく、というストーリーである。そういうロボットものの主人公の苦悩と言うものはえてして理解しにくいものだが、その設定と声優の声の渋さから、妙に現実感があるということらしい。女性にはあまり流行ってないのだが…
「テスト前日に勉強しても、最終的に受験に対応できないと意味がないと思うけどなぁ。一夜漬けで覚えたって何もならないと思うよ」
痛いところをついてくる。でも、こうでもしないと赤点を取ってしまう。補充は痛い。何せ休日はバイトの予定があるのだ。
「はぁ、せめてどんな問題が出るか予想できればいいのに」
言って空を見上げる。この調子ではたぶん赤点だ。青空の彼方に羽のついた一万円札がひらひらと飛んで行ってしまうという幻覚が見えた。自分もそろそろ限界かもしれない。
「そう言えばさっきのテストになかった? 予想がどうとか…」
言われて先ほどの英語のテストを思い出してみる。
「あぁ、『そもそも現在と未来は同一のものであるから、予想などできるはずがない』とかいうやつだろ? 何か変な文だったな」
「うん。あんたはどう思う?」
「現在と未来は違うものだろ」
「そう? でもそれ、未来と過去の違いほどははっきりしていないと思うよ」
未来と過去の違い。『これから起こる事』と『もう起こったこと』の違いのことを言っているんだろう。確かに『現在』の定義は聞いたことがない。
「明日香さんはどう思うんだ?」
苗字は覚えていないので、名前の方で呼んだ。
「わたし? 現在と未来のことは分からないけど『予想できない』ってところは共感できるな」
「どうして?」
「だって、じゃあ次のテストの問題はどんなものが出るか予想できる? 少しでいいから」
考えてみる。出題範囲は知っているがどんな問題が出るのかはさっぱり分からない。
「いいや、ぜんぜん」
「でしょ。たぶん、人間が予想していることって言うのは実はもうほとんど起こるって分かっているものに対してのみできると思うの。予想って言うよりは予測かな」
浅生はなるほど…と感心する。確かにそうかもしれない。
「じゃあたとえばさ。僕が一分後に右手を挙げるかも知れない。これは『予測』かな」
彼女はう〜んと考えて。
「それはむしろ『予測』というよりは『予告』だと思うよ。だって、『起こる事』自体に予測するあんた自身の意思が関わっているから。それに、あんたが『絶対一分後に手を挙げよう』って思っていても本当にそれが起こるとは限らないよ」
彼女は少し意地の悪い笑みを浮かべて言った。
「どうして? 僕が手を挙げようと思っているなら絶対じゃないか」
「そうね。でもそれはあんたの『こうしよう』という行動自体に他の意図しない現象が関わってこない場合だけよ。そう、例えばあんたが手を挙げようとした瞬間にそこの開けてある窓の外からライフルの弾が飛んできて心臓に直撃、破壊して生命活動を静止させる。そうなれば右手は上げられることなくあんたは地面に倒れる」
「はは…そんな馬鹿なことあるわけないだろ?」
そう言いながらもカウントする。51、52、53…
「そうね…ふふふ…」
どうしてテストの合間にこんな話をしてるんだろうと思いながらも58まで来たところで右手を挙げようとした。
「!」
いやな予感に襲われ、とっさに右に跳ぶ。
ライフルの弾はさっきまで自分の心臓があった場所を正確になぞり、机の金具に当たって弾かれ、床に突き刺さった。
「じゃあ、テスト頑張ろうね」
そう言って彼女は自分の机に向き直った。
麻生はしばらく硬直した後、自分の机に座って時計を見た。九時三十九分。秒針はこちこちと時を刻んでいる。たぶんあと三十秒ぐらいで次のチャイムが鳴るだろう。
難しい話をしていたせいか、眠気は不思議と収まっていた。
前の机にはなんとか明日香さんが座っている。
さぁ、頑張ろう。次は数学だ。
END
主にあとがき
…で語ることもあまりないので失礼します。では。
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