さらさら、さらさらと―――時は静かに流れゆく。





Kanon   リバース





『次の日曜日なんですけど、空いてます?』

『ええ…良かったです。それじゃあ家に来て下さい。時間は―――お昼過ぎで』

『はい? えへへ、それは内緒ですっ。来てからのお楽しみということで。ではでは』





 そんなやり取りは週の始め、数日前のこと。
 だから俺は今歩いていて…ようやくのことで足を止める。
 うだるような暑さ。容赦無く照りつける陽は眩しく真上。加えて空気は湿気を抱えて。

 八月の炎天下。「美坂」の表札は熱気で歪んだように見えた。


「あ、お待ちしてました。どうぞっ」
「このまま冷えた場所まで直送してくれ」
 影の慈悲に与かりながらここまで来たが。正直きつかった。
 寒さ同様、暑いのも苦手…と言うか極端な気候はことごとく遠慮したい。
「はいはい」
 スカート揺らしながらぱたぱたと、栞は自室へ招いてくれる。
 中に入り、すぐに冷気にむしゃぶりついた。
「うむ、高原のような爽やか二十一度だ」
 思わず深呼吸。汗が退いていくのを感じる。見える窓の向こうとは別世界だった。
「えぅ…暑かったのは解りますけど、だからって私を閉め出さないで下さいっ」
 外からドアを叩く音が聞こえた。
「ああ済まん。すぐ閉めないと冷気が逃げてしまうんでな」

 ちょっとした悪戯を。

 話しながら、テーブル上に置かれていたリモコンに目をやる。設定温度は体感通り。マイナスイオンも充実だ。
「いいんです。その代わり祐一さんは私に逃げられるんですから」
「…それも困るぞ」
 だが開けたドアの先には栞の姿は無かった。階下へと向かう足音だけが耳に伝う。

「少し、そこで頭も冷やして下さいね」

 お気に召さなかったらしい。それはそうだよな。



 座って待っていると。ノブが回り勢い良くドアが開いた。
「冷えましたか?」
「それはもう」
「まったく…普通、自慢の彼女よりも涼しさを取ったりします?」
 少し怒っている。頬を膨らませたまま、彼女は手にした盆を置いた。そこにはコップ二つ…冷えた麦茶があった。
「ちゃんと反省してくれたらですよ」
 視線を察したようで。元より戻って来たらすぐ謝るつもりだった。
「悪い。栞が一番大事だ」
「よろしい」
 くすぐったそうな表情―――満足してくれたようだ。次いで俺の喉も満足させる。
「さてと」
 栞はリモコンを手に取った。電子音、響くこと四回。二十一度は俺への気遣いか。
「今日来てもらったのは他でもありません」
 話始まるその前に。俺はコップの残りを一息で飲み干した。







「砂時計?」
「はい、砂時計です」
 テーブル越しに対座して。にこにこと栞は繰り返す。
「作るの?」
「作るんです」
「へえ…」

 変わった提案だった。彼女は今から二人で砂時計を作ろうと言い出したのだ。

「砂時計…嫌いでした?」
「いや。砂時計にそんな思い入れないし」
 別に好きでも嫌いでもない。俺にとってはそういう範疇にあった。
 更に言えば、日常生活から忘れ去っていた物。言われてああ、と思い出すように頷く存在。
「じゃあいい機会です。一緒に作りましょう」
 弾んだ声。「一番大事な彼女」がそう言うのだ。断る理由も無く―――二つ返事。

「でも、どうやって?」
「ふふふ。それなら心配ご無用ですっ、じゃーん」
 気付かなかった。テーブルの下から箱が二つ、取り出された。
「…砂時計キット?」
 見紛うことなくそう書かれてあった。
「最近はこんなのまで売っててスゴイですよねー。何て言うか資本主義の勝利?」
「そうだな…」
 こうして少なくとも二つは売れたわけだし。トータルで採算が取れてるのかは知らんが。
「一箱七千九百円もするんですよ」
「高っ!」
 採算が取れるようには計算してあるようだ。
「さすがは資本主義…侮り難し」
「ですよねっ」
 共感出来たことが嬉しいのだろう。栞はそういう奴だ。
「でも予備部品や図解マニュアル付きですから、安心して完成させられます」
 値段的にやはり申し訳ないと思ったのか。微妙に親切設計だった。
「どんなに不器用でも、か」
「さり気なく揶揄されてますか、私…?」




「ええと、その一。まずは砂を用意する、と」
 栞は説明書を読み上げる。開けた箱には当然、砂も入っていたが。
「あれ? 砂と言えば栞こないだ…」
「ええ。あの時の砂を使うんです」

 先週のことだ。
 栞と香里、名雪に北川を合わせた五人で海水浴に行って。帰り際、彼女は持ち帰るべく浜の砂をかき集めていたのだった。 その時は甲子園みたくただの思い出作りだとばかり―――

「びっくりの利用方法ですよね」
 自画自賛とばかりにえへへと笑う。再びテーブルの下から袋詰めされた砂が現れた。
 既に洗って乾燥させてあるとのこと。

 この下は異次元への出入り口なのだろうか。

「もう他には何もないですって」
 上から声が聞こえた。それで俺は覗き込んでいた頭を戻す。
「あるのは縞模様だけだった」
「…」
「…」
「…えっちな人、嫌いです」
「ほんとに?」
 懲りず、からかってみる。
「えぅ、き、嫌いですよ? だからほらっ、コレ。早く作りましょう!」

 ものの見事に閑話休題。

「自分で砂を用意する場合は…ふるいを掛けて粒の大きさ揃える必要があるらしいです」
「ほぉ…」
「あ、ふるいはこっちに」
「ん」
 それだけは机の引き出しに入っていた。手渡され、作業に掛かる。
「異物を取り除いて、砂は丸みを帯びたものを出来るだけ選ぶといいそうです」
「組織の歯車に不要なものは排除、か…泣かせるじゃないか」
 しかもそこから都合の良いものだけ選ぶとあれば、なおさらに。
「多分砂時計作るのにそんなこと考えるの、祐一さんだけです」
「俺は感受性が豊かなんだ」
「何事も有り過ぎって困りものですね」
 責める様子でもない。にこやかに合わせてるだけ。
「そう思う」

 気候然り。


「その二。容器の一方に八割程砂を入れる…確かに両方入れたら動きません」
「当たり前だ」
 うんうん頷く栞と共に、それぞれ指定の小瓶に砂を入れる。
「あ、こぼれました…」
「事前に紙敷いといて良かったな」
 孔の狭さから見てそんな気がしてた。

 さらさら。砂が容器を満たしてゆく。
 どうにか栞も入れ終えて。工程は次のステップへ。

「その三は…孔を合わせて二つの容器をくっ付ける。テープで仮止めすると良い」
「言っとくけど、砂が入ってない方を上にするんだぞ?」
「それくらい解ってますぅ。じゃないとまたこぼれるって…祐一さん、お姉ちゃんみたいに過保護です」
 嫌なくらい似てきてます、と指を突きつけられる。
 自覚してるだけに素直に謝った。
「いいです…悪気があって言ってるんじゃないって、解ってますから」
 保護欲をかき立てるような容姿だけじゃなく。まだ目の前の少女から「儚さ」が拭えない。
 俺も香里も、そうだった。

「さてさて次は…っと」
 名実共にただの杞憂なのだろう。だからって別に俺達はロリコンでもシスコンでもない…と内外に向けて常日頃から主張している。
 香里の場合は怪しいものだと思っているが。個人的に。


「その四。時計と同時に砂を流す。三分と少し経てば砂を止めて、外して余った砂を除く」
 彼女は紙片をつつがなく読み上げた。
「三分と少し? そんな適当でいいのか?」
「ええとですね…その五は四を繰り返すって書いてます。徐々に近付けて正確にするみたいです」
 ああ、なるほど。いきなり三分にしても、計り直すと全く同じとは限らない。繰り返すことで一定性を確立させるわけだ。
「じゃあ計りますよー」
 栞は腕にあった時計を睨む。顔に緊張感は微塵も感じないが。

「よーい、スタート」


 さらさらさらさら。


 さらさらさらさら。


「ストップ」



「それじゃあ次…スタート」


 流れ眺めて、止めては捨てる。
 その繰り返し。



 多分七度目だったと思う。

「今度もぴったり三分、もう大丈夫ですねっ」
 ここに、二つの砂時計は揃って完成した。
「結構頑張ったな」
「はいっ」
 嬉しそうに小瓶を抱える。後は付属パーツに組み込んで、完全に固定させるだけだった。




 外は相変わらずの晴れ模様。耳を澄ませば蝉の声。

 工程を終えて。手元には砂時計。
 彼女は目を輝かせながら、流れ落ちる砂に見入っていた。
「キレイですよね、砂時計って」
 そっと撫でるように言う。
「何て言うか…時間を感じられるんです」
「そうだな…」
 改めて手元を見遣り、砂を流させる。

 さらさらさらさら。

 ゆったりとしたその様が―――あたかも時の流れそのもののようで。
 デジタルをどれだけ突き詰めて、擬似的にアナログにしたとしても…得ることの出来ない感覚。

 さらさらさらさら。

 時が見えたのだろうか。
 知らず、落ち着いた。


「まあ俺の場合は…空腹も感じるかな」
「食いしん坊さんです」
 二人してカップラーメンを思い浮かべる。この街に来るまではよく食べていた。
「お姉ちゃんは見るとイライラするって言ってました」
「…何でまた?」
 あいつは少し変わった感性の持ち主なのかもしれない。
「エラーとかフリーズ…処理待ちみたいだ、って」
「は?」
「私も意味は解らないです…」
 二人して今度は疑問符を頭に浮かべた。

「でも、砂時計を作ろうと思ったのは…そもそもお姉ちゃんの一言がきっかけなんです」
 果たして香里は何を言ったんだろう。
「実は私。あの時砂を集めてたの、ただの思い出作りでした」
「やっぱり」
「えぅ…もしかして甲子園の真似だと思ってました?」
「正直な。何で解った?」
 彼女はちょっとだけふて腐れたように続ける。
「前の日に高校野球のテレビを見て、やってみようと思ったんです」
「何だ、栞も見てたのか」
 本当はアニメの再放送が見たかったんですけどね、と彼女は舌を出した。
「ええとそれで。砂を集めてた時に後ろからお姉ちゃんが言ったんです。あなた砂時計でも作るつもりなの、って」

「で、作ろうと思ったわけだ」
「思ったわけです」
 こくこくと頷いていた。

 香里が全ての手筈を整えたらしい。
 彼女はインターネットで検索して、雑貨屋からキットを発注。その後すぐに図書館かどこかから色々と資料を持ち出しては、 栞に講義を行ったとか。
「お姉ちゃんの完璧主義にも困りますっ。ただ砂時計を作るだけなのに、いきなり哲学だ粉体工学だって言い出すんですよ? 挙句には『月面上における砂時計の計測時間』とか何とか…もうたくさんですっ」

 あいつはあいつなりに…自分が出来ることを全うしようとしているのだろう。
 二度と後悔しないように。

 それはそれとして。生き生きと楽しげな姉と、ぶーたれながらも耳を傾ける妹。

 考えただけでも―――面白かった。

「あ、どうして笑うんですか!?」
「いや、な。砂時計を嫌いながら、それでも嬉々として語る香里もそうだが…文句言いながらもしっかり聞いてやる栞も栞で。 可愛いよな」
「どっちがですか?」
 詰め寄られる。
「どちらも」
「だからどっちですっ!?」
 まくしたくられる。

 仲が良いんだか悪いんだか。

「勿論、栞」
「うんうん」

 ま、良いんだろ。それもすごく。




「でも砂時計って…切なくもあります」
「ん?」
 納得した彼女は一呼吸置いて続ける。

「残された時が―――終わりが解ってしまいますから」

 二つの砂時計はもう、止まっていた。


「儚いですよね。命の砂が最期を告げる―――」

 それはメタファー。だがすぐに解る…彼女が砂に何を重ねて見ているのか。

「馬鹿だな」
「えぅ、馬鹿とは何ですか馬鹿とはっ。酷いです、そんなこと言うひ」

「一人で勝手に悲観するなって言ってるんだよ」

 ドラマ好きだってのは十分承知。それでも…いや、だからこそ。


「こうすれば終わりじゃない」


 俺は栞の砂時計に手を伸ばし―――返した。

「あっ」


 さらさら、さらさらと―――砂は静かに流れゆく。

 今、再び。




「これからは俺が何度でも返してやるさ」

 再び生を与えられ、終わるはずだった栞の時は…こうして続いていくんだ。
 言ってて顔が赤くなるのが解る。こんな台詞、きっと彼女の影響に違いない。


「―――はいっ」

 詰まる口からは一言だけ。
 泣き笑いのような顔。

 それで全てが伝わってくる。



「なら…私も」

 栞は思いきり手を伸ばした。




「生きて行くって決めたんですから、一緒に」







 何度でも。

 いつまでも。






 さらさら、さらさらと―――時は静かに流れゆく。





 das Ende




 あとがき
 書いたのはFlying。名も知られていない、しがないSS書き。
 選んだのは砂時計。被るかどうかは微妙な所。
 悩んだのはタイトル。散々迷った挙句、安易なモノに落ち着いた。reverse/rebirth。カタカナ便利。
 個人的には珍しく。まとまり感があって悦に入ってますが…どうでしょうね。

 シリーズは第二回。どんどん続くといいなあ…と、わくわくしながら書き上げました。お疲れ様です。

 2004.05.28


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