――カチ カチ カチ

「………」

時計の音が大きく聞こえる。
静かな……静かすぎる朝だった。
鳥の囀りさえも聴くことが出来ない。

「………」

頭上の目覚ましを眺めてみると、秋の早朝の寒さから逃れるように、長針と短針が身を寄せ合っていた。

「……5時28分か」

普段よりも2時間あまり早い起床に、頭がしっかりと回ってくれない。
とりあえず制服に袖を通して、ベットの縁に腰を下ろす。
まだ頭がぼんやりとしていた。

「……名雪じゃあるまいし」

普段ならいくら早く起きたところで、これ程までに頭がボンヤリすることはなかった。
それこそ、隣室の眠り姫とは違って。
しかし、血は争えないというか何というか……
今頃になってその血が覚醒しだしたのであろうか。

「いくら何でもまさか……な」

自分でも馬鹿らしいと思いながら、徐々に白濁に染まりつつある視界に抵抗することが出来なかった。

――カチ カチ カチ

混沌とした意識の中で時計の進む音が頭の中に響く。
白濁に染まった視界の中で、いくつもの『何か』が映し出される。
楽しかった想い出、嬉しかった記憶。
悲しかった記憶、辛かった想い出。
知っている知識、知らなかった知識。
知らない想い出、知らない記憶。

――カチ カチ カチ

また聞こえる『何か』の音。
徐々に……そう徐々にではあるのだけれど、その何かに誘われている気がした。

――カチ カチ カチ カチ カチ

『何か』の速度が一気に速まる。
それに伴って、今まで気が付かないほどゆっくりだった『何か』の流れも加速する。
白濁の世界を物凄い速度で加速していく。
進んでいく先に光が見えた、そう思った時。

――別にビー玉なんて欲しくなかったんだ

突如としてそれは止まり、俺の耳に人の声が舞い込んできた。
その声音はまるで俺を諭すかのように、そして自分自身に言い聞かせているかのように。

――ただ、恨んでいたのかもしれない、神様を……

とても悲愴な声だった。
いつかの冬の夜の彼女のような。

――そして作ってしまったんだ。彼女との盟約によりて、神も恐れぬこの世界を……

そして、とても悲しみに溢れた声だった。

――さようなら……我が絆人よ………















Da capo al fine 〜根本へ、そして終幕へ〜













――ジリリリリリィィィィィィ!!

近所迷惑というレベルを通り越して、騒音で民事訴訟を起こされても不思議じゃないような音で、俺は再び覚醒した。
全くの無防備で直撃したからか、危うく意識が飛びそうになるが、視界が再び白濁の世界で覆われることはなかった。

「名雪の目覚ましが鳴ってるってことは……今何時だぁっ!?」

実は名雪を起こすようになってから、セットする時間が徐々に遅くなってきている。
詰まるところ、俺が目覚ましの本来の役割である名雪自身を起こしている為、目覚ましの方はそれの保険という意味合いが強かった。
ということは……

「ハッハッハッ!!目覚ましよ、俺に役割をとられて悔しかろう!!」

などと大声で叫んでいる余裕がないほど、切羽詰まった時間であるということだ(まぁ、叫んでるけど ^^;
時計をみると案の定、ギリギリの時間だった。

「オイッ名雪っ!!早くしないと遅刻するぞ!!」
「ふぁ〜?なぁにぃ〜、ゆ〜いち〜〜???」
「ふぁ〜、じゃないっ!!時計みてみろっ!!」
「えぇ〜〜?時計ぇ〜〜?……ぁ」
「………」
「………」
「………」
「……わぁ〜〜〜〜っ!!ち、遅刻しちゃうよぉ〜〜〜!?」

――ドタ ドタ ドタ

部屋の中を走り回る音が響く。
普段では見ることの出来ないくらいのあわてっぷりで名雪が準備しているのであろう。
その忙しくも微笑ましいであろう光景を想像して、時間も余裕があるわけではないのについつい頬が緩まってしまう。

――ガチャッ

「祐一ぃ〜、おまたせぇ〜」
「よし、それじゃあ行くか。朝飯食ってる時間もねぇし」
「あ………ご、ごめん、ね?」

部屋から出てきた名雪が、俺の言葉に過敏に反応して、申し訳なさそうに項垂れる。
そんな名雪の姿を見て、ついつい俺の手が名雪の頭に伸びる。

「……ビクッ」

――クシャクシャ

「あっ……」
「気にするなよ、寝過ごしたのは俺の方なんだし」
「……うにゅぅ〜」

そんなに頭をなだれらるのが好きなのか、とても気持ちよさそうに――見方によっては眠たそうにも見える……している。
それを見ていると、何というか俺の方まで幸せな気分になってしまうから不思議だ。
結局、名雪の頭をなでながら俺も幸せな気分に浸かっている。
すると、とても申し訳なさそうに――そして勿体なそうに……名雪が小さな声を上げた。

「ゆ、祐一ぃ〜〜」
「ん、なんだ?」
「あ、あのぉ〜、そ、そのぉ〜、時間……」
「へ?時間がどうし……あぁぁぁああっ!?」

なでていた右腕を離し――名雪は名残惜しそうにしていたが時間を確かめる為には仕方ない……腕時計を見ると、すでに本気で走っても際どい時間だった。
ただでさえ時間がなかったところで、こんなことをやっていればそんな時間になっていても確かに不思議ではない。
というか、何で俺は途中で気が付かなかったのだろうか?
左手で握っていた鞄を握り直し、さっきまで頭をなでてた右手で名雪の手を取って必要以上の声量で叫ぶ。

「名雪っ、急ぐぞっ!!」
「えっ!?あ、うんっ!!」

いつも通りと言うには少々騒がしい朝。
しかし、いつも通りに何度か身も重ねた従妹の手から、その心のような温かさが伝わる。
そしてふと思うのであった。
その温かさがいつまでも………
そう、いつまでも俺の側にあって欲しいと。
しかし、その時にどうして俺は気が付けなかったのだろうか。
なぜそんな当たり前なことを今更願い直さなければいけないのかと言うことを……














――カッ カッ カッ

先生が黒板にチョークを走らせるたびに、時計の音に混じって鋭い音が室内に響く。
そして、それに続いてそこに綴られる文字列を大多数の生徒たちが、己のノートに腕の筋力を酷使して映し出す。
いつもの授業風景。
去年は隣にいた従妹は今や違うクラスになってしまったが、それも春からのことですでにこの光景に慣れてしまっていた。

「え〜、じゃあこの問題を……伊東」
「えっ?え、えぇ〜とぉ……へ、平安京、ですか?」
「ふむ、そうだな。794年、啼くよ鶯平安京だ。じゃあ、次の問題を……」

伊東が答えると先生は次の問題に進む。
特に難しい問題が出ているわけではないので、みんなわりとすらすら解いていく。

――行ったぞっ!

――サイド、しっかりマークせいっ!

そういえばこの時間はB組が外で体育をしてるんだったな。
授業を真面目に受ける気もせず、外から流れ込んでくる声に耳を傾けたいた。
男子はサッカーでもしているのだろう。
勇ましい声に混じって「ナイスシュートっ!」とか「センタリング上げさせるなっ」とか言う声が聞こえる。

「………」
「……わ、…い沢、……おい、相沢っ!!」
「……えっ?」

先生に呼ばれて意識をこちら側に引き戻してくる。
しかし、突然の事だったからあまりにも「へ」に近い「え」で、教室の失笑――中には苦笑い……を買ってしまった。
恨めしい目で先生を睨むが、気にしないのかそれとも気づいていないのか、先生は何事もなかったかのように授業を進めていく。

「えぇ?じゃないっ、次はお前の番だ」
「え、え〜とぉ……」

黒板に書き出されている問題でまだ解かれていない問を先生が指さす。
恐らく、その問題を解けと言うことなのだろう。
他のみんなは寝ぼけている頭でどんな珍答を答えるのか期待でもしているのか、珍しく私語一つなく静まりかえっている。

「え、え〜と……ふ、藤原の……」

と、答えを言いかけた、その時であった。

―― キィィィィィイイ!!

大きな、そしてとてつもなく高い金属音、そして続けざまに……

―― キャァァァァアアーー!!

という、先の金属音にも負けない大音量で、女子独特のあのとてつもなく高い叫び声が教室内に響く。
それを発端にして、俺たちの教室が一気にざわめき出す。
それは他の教室でも同じようで、ここの教室以外のざわめきも開ききった扉から流れ込んでくる。
ただ、隣の外で体育をしているB組だけをのぞいて。

「おい、お前らっ!!騒ぐんじゃないっっ!!」

先生が騒ぎ始めた生徒たちを宥めようとするが、あまり効果がない。
その先生も外の騒ぎを耳にしている為か、少しソワソワしている。
こうなってくると、先生が事態の確認に行くのも時間の問題であろう。

――トンッ トンッ

「おい、相沢」
「ん、北川か、どうした?」

教室内の騒ぎに乗じて北川が――奴とは同じクラスになっていた……寄ってきて俺に話しかける。
その北川の顔が些か蒼いのは気のせいではないだろう。

「……相沢、外の騒ぎのことだけどな」
「………」
「……相沢?」
「……あ、あぁ、それでなんだ?」

動悸が収まらなかった。
心臓がもの凄く速く警鐘を鳴らし続けている。

「B組の奴からメールで連絡があったんだ。お前に見せてくれって……」
「………」

そう言って携帯を閉じた状態で俺に渡す。

―― ピーポー ピーポー

遠くから救急車のサイレン音が近づいてくる。
背中にイヤな汗が滴り落ちる。
気のせいであって欲しかった。

「………」
「………」

折りたたまれていた携帯を開く。
すると、メールの受信画面が表示され、その一番上にB組の男子生徒の名前が表示されていた。
タイトルには「相沢に緊急連絡」とあった。

「………」
「……その一番上だ」
「………」

教えられるまでもなく分かっていた。
そう、分かってはいた。
しかし……開くことが出来ない。

「………」
「……相沢、早くしないと」
「……あぁ、分かってる」

覚悟が……決まらなかった。
指が震える……心が恐怖の色で染まりきっていた。
たかが一度ボタンを押すだけ。
そう、たかが携帯の決定ボタンを一度押すだけ。
それなのに、そのボタンが核のスイッチのような威圧感を放っていた。

「………」
「……相沢」

北川が何かを言いかけたときだった。

―― タッタッタッ……ガラッ!!

「おいっっっ!!相沢っっ!!!!」

体育教官が大声を上げて教室へ走り込んできた。
恐らく、この瞬間だったのであろう。
俺の日常が再び崩落の追復曲を奏で始めたのは………












―― カチ カチ カチ

紅いランプの灯りだけが照らす廊下。
そこに設置されたベンチに腰を下ろし、「ふぅ」と一つ、ため息をつく。

―― カチ カチ カチ

仄暗い廊下に時計だけがまるで嫌味のように自己主張していた。
多分、今までここに座っていた人々は一概に時計を壊したい衝動に駆られたことだろう。
それは俺も例外ではなかった。

「祐一さん……もう少し落ち着いてください」
「…………はい」

この遣り取りも、もう何度目になるだろうか。
仄暗い中でも分かるほど目を紅く染めた秋子さんに窘められ、再び意識を平常に保とうと努力を始める。

―― カチ カチ カチ

一定のリズムを刻んでいる時計の音が酷く緩慢に聞こえる。
それに再び苛立ちを感じ始めると、また秋子さんに窘められる。
名雪が事故後、手術室に運び込まれてから既に五時間ほどたっていた。

――『もしかしたら、二度と歩くことが出来ないかもしれません』

ほんの数分前に手術室から出てきた意志の言葉だった。
両足及び骨盤の複雑骨折、左肩の骨折、内臓にもいくつかの損傷。
正直、死んでいてもおかしくないと医師が言っていた。
その医師も今は自室へ戻り、休息をとっているはずだ。
手術は後数時間かかるようであった。

「………」
「………」

―― カチ カチ カチ

二人の間を再び沈黙が支配する。
時計の音だけがのんびりと、しかし確実に時間が進んでいることを主張する。

―― カチ カチ カチ

遅い……

―― カチ…カチ…カチ…

遅い………

―― カチ……カチ……カチ……

時間が進むのが、これほどまでに遅いと感じたのはいつ以来だろう。
8年前の冬、1年前の雪の夜。
そのどれよりも遅く感じていた。

―― カチ…………カ…チ…………カ……チ………………

目の前がまるで吹雪にでも遭ったかのように白ずんでいく。
そして、視界全体が白い世界で覆われ、外から聞こえた「祐一さん?」という声でも、そちら側へ覚醒することができなかった。
















「やぁ、初めまして相沢君」
「……誰だ?」
「ん、僕かい?そうだねぇ……強いて言うなら『えいえん』の住人、かな?」
「永遠の住人?」

最初は声。
そして徐々に、ぼんやりと少年が白い世界から浮かび上がってくる。
歳は俺と同じくらいか、割と造形のいい顔つきをしている。

「それで、君は?」
「………は?」
「君はなんていうのかな?」
「……知っているんじゃないのか?」
「知っているとも。だけど、せっかくなんだから本人の口から聞きたいじゃないか」

――― にこ にこ にこ

こいつには勝てそうにも無いな。
本能……とでもいうのだろうか。
感覚的にそう思っていた。

「……相沢、相沢祐一だ」
「そう、とてもいい名だね」
「そりゃどうも」

こいつはなにを考えているのだろう。
名雪のように掴みようが無いといえないことも無いが、名雪のそれとは違って『故意的に』掴ませない様にしている様だった。
何のためだ?
考えたところで答えが出てくるはずも無い。

「ふふふ、ただの気まぐれだよ。そう、だから何も考えちゃいないのさ」
「……それを自分から言っちゃ何にもならないんじゃないのか?」
「さぁ、どうだろう。しかし僕は君にもうこうやって強く干渉してしまっているし……」
「………」
「まぁ、気まぐれだろうね。ただ、あの頃にはしっかりと残せなかった絆を断たれそうになるのが放っておけないのかもしれない」

そう言ってそいつはくるっと後へ振りむいた。
何も無い……いや、何も無い『はず』の空間をそいつは眺めていた。
既知感、とでもいうのだろうか、俺は知っていたその背中を……
なんだ、いつに、どうやって……
そして一つの場面と繋がった。
そうしてやっと気がつくことが出来たのだった、そいつは『悲しんで』いるのだと。

「……なぁ」
「ん、なんだい?」
「……元気、だせよな」
「どうしたんだい、唐突に」
「……いや、何となくいっておきたかっただけだ」

なんか、そういう奴を見つけると放って置けなくなるのが自分の悪いところかもな。
そう思いながらもこっちを振り向いたそいつが、どことなく嬉しそうな様子だから「あぁ、やっぱり言って置くもんだな」と思えたんだ。

「……彼らも相当なお人よしだったけれど、君も相当なお人よしだね」
「あぁ、そんな事よく言われるよ」
「ふふっ、そうかい?」

――― カチ…………カチ………カチ……

「あぁ、残念だ。今日のところは時間切れだ」
「っ!?」

少年の身体が、出てきたときとは逆に背後の白に混ざっていく。

「それじゃあ、お人よしな君、また今度……」

声も段々と小さくなっていく。
そして数瞬の後、其の白い世界は朝のまばゆい光と共に霧散してしまったのだった。
















――― カチ カチ カチ カチ

時計の音。
時間の感覚が徐々に戻ってきて、それと共に他の感覚も目を覚まし始める。

「………」

まず目に飛び込んできたのはまばゆい光と真白い天井。

「……っ!?」

そういえば名雪はっ!?
そう叫びながら身体を起こそうとした途端、全身に激痛が走って浮きかかっていた上半身が再びベットへ墜落する。

「………っっっ!?」

墜落した衝撃で背中をもろに打ち付けるも、転がる事も出来ず危うく大声を上げるところだった。
といっても、痛み自体よりも身体がいうことを効かなかったショックの方がでかかったんだが。

「………」

散々痛みにのた打ち回った――いや、のた打ち回りたくても出来なかったのだが……後、少し冷静になった所で事態を把握しようと無い頭をフルドライブさせる。
とりあえずは身体中に存在する痛みに屈せず、上体を起こす。
ゆっくりと周囲を見渡す。
真白かったのは天井だけではなく、四方を囲む壁、そして床も。
そして強烈な違和感を覚える。

「……何の『におい』だ?」

いや、口に出すまでも無かった。
この人の感覚を惑わせるような不快な臭い。
こんな臭いを出すところといえばあそこ位しか考えられなかった。

――― カチ カチ カチ

ベットの横には小型のテレビとその上に目覚ましが置いてあった。
少し下に視線をズラすと真白な雪の花。
テレビの横に小さな花瓶――これも真白だった……と共に申し訳程度に咲いていた。
腕を伸ばしてその花を一本頂戴する。

「……これは『間違い』か?」

別段、気が狂ったわけじゃない。
そう、これは恐らく『間違い』
誰でもない、先の彼が『間違えたのだろう』
そうでなければこんな所にこの花が咲いているわけがないのだ。
そう、何せ今は『秋』なのだから。

――― カチ…カチ……カチ………カチ…………

静かな部屋の中に響いていた時計の音が徐々に遅くなっていく。
そしてやはり視界も徐々に白ずんでいく。
となると現れるのは一人しかいなかった。

「や、相沢君」
「……マチガエヤガッタナ、コンチクショウ」
「ははは、すまなかったね、まだこの力を使いこなせるわけじゃないんだ」

先のように白い壁から浮かび上がって来る。
やっぱりというかなんというか、先ほどの永遠の住人さんだった。

「あはは、これでまた少し時間が出来たわけだ」
「……そうなのか?」
「いや、正確に言うと元から時間はあるんだけどね」
「……は?」
「ん〜、まぁ、気にしないでいいよ」
「はぁ……」

何となく、そう何となくではあるのだが、どうもこいつは頭がよすぎるような気がする。
いや、もしかしたら俺がバカなだけかも……

「まぁ、そんなに卑屈になることじゃない。そもそも創世主さえよく判ってないところなんだから」
「……んなもんか?」
「そうだね、そんなものだよ。理屈で解るような事じゃないのさ」

そう言ってそいつは軽く笑ってみせる。
俺を嘲笑するようなものではなくて、まるで自嘲するかのような笑みだった。

「さて、それじゃあ、今度はしっかりとやって見せようかな」
「………」
「あぁ、そんな目で見ないでくれ。今度は失敗しないからさ」
「……本当だろうな?」
「もちろんさ、天使様のご加護もあるからね」
「………」

少し信用する気がなくなる。
しかしまぁ、こいつを信用しない事にはどうしようもないしな。

「それで、おれはどうすれば?」
「いいや、何もする必要はないさ。ほら、今にも始まってきただろう?」

そいつがそういうと、徐々にではあるが再び世界が白に染まっていく。
勿論、そいつも巻き込んで……

「それじゃあ、相沢君。今度こそ間違えていないはずさ」
「……そうか」
「なんか、浮かない顔をしているね?」
「……お前はどうなるんだ?」
「僕かい?僕は……」

――― カチ…………カチ………カチ……カチ…カチ

「残念、時間切れだ……」
「あ、ち、ちょっとまてっ!?」

加速する時計の音が聞こえる。
まるでそれは俺たちを引き離すかのように……
それぞれの世界へ誘う、魔性の列車なのかもしれない。
そして列車はさらに加速する。
世界中の誰よりもなによりも早く……

















――― カチ カチ カチ カチ カチ

「……ちさん……一さん………」

時計の音があまりにもはっきりと聞き取る事が出来た。
誰かが呼んでいる、そう思うも未だに耳は時計の音を意識していた。
心地よい言っているのリズムを刻んで……

「祐一さん……祐一さん、起きてください」
「ん……ふぁぁ〜〜〜。……おはようございます」
「はい、おはようございます」

その間に入り込んできた叔母の声に起こされたのだった。

「あっっ、そういえば名雪はっ!?」
「えぇ、数時間前に手術が終わりまして、今は病室で眠っているはずです」
「それで……手術の出来は?」
「命に別状はないらしいのですが、下半身の方はどうにも……」
「……そうですか」

淡々と、そうあまりにも『淡々と』秋子さんがその事態を述べてくる。
顔にあまり疲れを出さない人だが、こういう風に声を聴くと疲れているのが手に取るように解る。
恐らく、今まで殆ど睡眠も食事も取っていなかったのであろう。

「とりあえず、秋子さんは休んでいてください。名雪が目を覚ましたら連絡しますから」
「いえ、でも……」
「命に別状ないんでしょう?なら大丈夫ですって。名雪だって目覚めたときに秋子さんが倒れていたら悲しみますし……」
「で、でも……」
「いいから休んでいてください。名雪なんか普段でも寝まくりますから、秋子さんが休んでいる間には目を覚ましませんよ」
「……わかりました。すみません祐一さん……」

とりあえず、その秋子さんを休めさせる。
この人の事だ、こうでもしないと休んでくれないだろう。
それに、実際に麻酔が効いている名雪がこれくらいの時間帯で目を覚ますとは思えなかった。

「……さて、とりあえず病室に行って見ますか」

そう自分に言い聞かせてから、俺はその場所を後にしたのだ。
そして俺は初めて知る事となる。
この病院の規模があまりにも大きすぎるという事に。














―――カチ カチ カチ

時計の音と名雪の寝息が響くだけの広い個室。
その中にはよくドラマなどで見られる重々とした医療機器は見られなかった。

―――カチ カチ カチ カチ

結局、数十分ばかし彷徨っただろうか。
名雪の病室に無事辿り着く事が出来たのはそれから暫くした頃の事だった。

「……すぅ……すぅ……すぅ………」
「……ほらよ、土産代わりだ」

そう言ってなぜか売店で一輪だけ咲いていた白い花――スノードロップと言ったと思う……をテレビの脇の花瓶にさしてやる。
そして椅子に腰を下ろし、今なお眠る従兄妹の姿を瞳に映しこんでいた。
いつも見慣れている寝顔で眠るその顔はやっぱりいつも通りで、ちょっとやそっとのことでは起きそうもない、そう思えた。
そうして訪れるのは一抹の不安。
もしかしたらこいつは『このまま一生目を覚まさないのではないのか』?
その不安を拭う為に俺は名雪を思いっきり揺さぶって、そしていつものように起こしたかった。
勿論、そんな事が出来るはずもない。

「名雪……帰ってきて……くれるよな?」

両手で包み込むようにその右の掌を包み込む。
その肌にはまだ温もりがあって、名雪が生きている事を証明していた。
本来ならそれで十分。
しかし、俺の不安を拭うには今ひとつ決め手にかけていたのだ。
それが何かと問われても俺は説明する事が出来ないのだが……

「………」

再びその温もりを放す。
こうなってしまっては、後は祈るだけ。
そう、俺にやってやれる事は皆無だった。
そしてそれは再び俺の心の中の傷口を開きだしていく。

―また俺は役立たずなのか……

――結局、あの日泣いていた頃のままなのか……

―――雪の中の少女に手を差し伸べる事も出来ないのか……

――――この八年、俺はナニヲしていたんだ?

―――――いや……ナニモしていなかったんだったナ……

――――――ナニモカモナゲダシテイタンダナ……

そして俺は再び目を閉じる。
あの少年に会うために……

―――カチ カチ カチ

時計の音に集中する……。

―――カチ…カチ……カチ………カチ…………カチ……………

徐々にゆっくりと進んでいく……
そして最後の音が鳴り響くと同時に、俺はその世界へと足を踏み入れていた。
えいえんの……世界に。

「やぁ、今度は君の方から来たのかい?」
「……あぁ」
「まぁ、大体は想像していたけどね」

そう言って微笑んでくるのは自称『えいえん』の住人。

「さて……君はどうしたいんだい?」
「……名雪を助けたい」
「………」
「助けてやりたいんだ、名雪を。この八年間、ずっと苦しましてきてしまった愛しい奴を」
「……それは自分の身をなげうってでもかい?」
「あぁ、それがあの八年前のことの贖罪となるんだったらな」
「………」
「………」

そうして二人の間に沈黙が流れる。
そして次に口を開くまで、永遠とも思えるような、ほんの一瞬とも思えるような時間が過ぎていた。

「……わかった。彼女を助ける事を手伝おう」
「本当かっ!?」
「あぁ……ただ、一つだけ約束。もう二度と自分の身をなげうってでもって事は止めるんだ。一番の悲しみは……」
「……あぁ、そうだったな。一番の悲しみは残された者が負うんだ。痛いほどにわかってる……」
「そう、ならはじめようか……」

あたりの空気がその一言でピンッとはる。
それは気のせいなのかもしれなかったが、少なからず俺に緊張感を与えるには十分だった。

「それで……具体的にはどうするんだ?」
「……君はなにもしなくていい」
「……は?」
「君はなにもしなくていいんだよ。するのは僕だけなんだ」
「なっ……」
「なに、別に君が役立たずと言いたいんじゃないんだ。これは僕にしかできない事なんだよ」

少しそいつの顔に影が落ちた気がした。
そして一瞬、悲しそうな、残念そうな顔をして……

「さて……それじゃあCapoへ戻る事にしよう……」
「………」
「……それじゃあ、ね。雪の花を持った少年」

―――…………カチ………カチ……カチ…カチ……

徐々に時間が流れていく……
時計の音があまりにも心地よく聞こえてくる。
そして意識が覚醒する。
その時、俺は何かを忘れていた事に気がついたのだ。
いつの間にか、手に持っていた『もの』がなくなっていることに。



















――ジリリリリリィィィィィィ!!

近所迷惑というレベルを通り越して、騒音で民事訴訟を起こされても不思議じゃないような音で、俺は再び覚醒した。
全くの無防備で直撃したからか、危うく意識が飛びそうになるが、視界が再び白の世界で覆われることはなかった。

「名雪の目覚ましが鳴ってるってことは……今何時だぁっ!?」

実は名雪を起こすようになってから、セットする時間が徐々に遅くなってきている。
詰まるところ、俺が目覚ましの本来の役割である名雪自身を起こしている為、目覚ましの方はそれの保険という意味合いが強かった。
ということは……

「ハッハッハッ!!目覚ましよ、俺に役割をとられて悔しかろう!!」

などと大声で叫んでいる余裕がないほど、切羽詰まった時間であるということだ(まぁ、叫んでるけど ^^;
時計をみると案の定、ギリギリの時間だった。

「オイッ名雪っ!!早くしないと遅刻するぞ!!」
「ふぁ〜?なぁにぃ〜、ゆ〜いち〜〜???」
「ふぁ〜、じゃないっ!!時計みてみろっ!!」
「えぇ〜〜?時計ぇ〜〜?……ぁ」
「………」
「………」
「………」
「……わぁ〜〜〜〜っ!!ち、遅刻しちゃうよぉ〜〜〜!?」

――ドタ ドタ ドタ

部屋の中を走り回る音が響く。
普段では見ることの出来ないくらいのあわてっぷりで名雪が準備しているのであろう。
その忙しくもとても平和な光景を想像して、時間も余裕があるわけではないのについつい頬が緩まってしまう。

――ガチャッ

「祐一ぃ〜、おまたせぇ〜」
「よし、それじゃあ行くか。朝飯食ってる時間もねぇし」
「あ………ご、ごめん、ね?」

部屋から出てきた名雪が、俺の言葉に過敏に反応して、申し訳なさそうに項垂れる。
そんな名雪の姿を見て、ついつい俺の手が名雪の頭に伸びる。

「……ビクッ」

――クシャクシャ

「あっ……」
「気にするなよ、寝過ごしたのは俺の方なんだし」
「……うにゅぅ〜」

そんなに頭をなだれらるのが好きなのか、とても気持ちよさそうに――見方によっては眠たそうにも見える……している。
それを見ていると、何というか俺の方まで幸せな気分になってしまうから不思議だ。
結局、名雪の頭をなでながら俺も幸せな気分に浸かっている。
すると、とても申し訳なさそうに――そして勿体なそうに……名雪が小さな声を上げた。

「ゆ、祐一ぃ〜〜」
「ん、なんだ?」
「あ、あのぉ〜、そ、そのぉ〜、時間……」
「へ?時間がどうし……あぁぁぁああっ!?」

なでていた右腕を離し――名雪は名残惜しそうにしていたが時間を確かめる為には仕方ない……腕時計を見ると、すでに本気で走っても際どい時間だった。
ただでさえ時間がなかったところで、こんなことをやっていればそんな時間になっていても確かに不思議ではない。
というか、何で俺は途中で気が付かなかったのだろうか?

「名雪……このまま、さ。ゆっくり行かないか?遅刻しちまっても一回も二回もそんなに変わらないし」

そう言って名雪の右手を握る。
そこに確かなる温もりがあることを確かめながら。

「……うん、私もこのまま祐一といたいよ」

そう言って俺に身を寄せてくる名雪が正直可愛いと思った。
いや、そんな事は今までに何回もあったのだけれど……
今回はとても……そう、今までにないくらいそう思ってしまったのだ。
まるで無くしてしまったものを再び見つけたときのように……





















「……でな、北川が……」
「へ〜……そうなんだ……あはははっ」
「な、うけるだろう?」

結局、いつもの5分の1くらいの速度で学校へ向かっていた。
勿論、遅刻とかいうどころの話ではなくなっているのだが……。
そうしてそんな亀のような登校も、残すところあと少し。
既に学校が見えてきた時点で必要以上に近寄る事は止めていたが、それでも握っている手だけは放さなかった。

「……あ、そういえばお前のクラス体育だったんだっけな、この時間」
「うん。あの様子だとマラソン……かな?」

名雪のいうように、少し先にある校門を見覚えのある生徒たちが次々にくぐっていく。
今の時間帯から考えてもマラソン練習に行って戻ってきた連中であろう。

「……なんか入り辛いな」
「え?なんで?」
「いや……お前なぁ……」

相変わらず、こいつの鈍感さには呆れさせられる。
そういえば転校したての頃、クラス中に居候していること話してたっけ……
まぁ、こいつにそのことを直すように言っても、何故――むしろ『何を』か……直して欲しいのか理解してくれないだろう。
だから言わないでいるのだけれど。

「……で、どうする?なんなら裏口から入ればいいんだけど」
「ん〜と……いいんじゃないかな?別に玄関先にグラウンドがあるってわけじゃないんだし」

いや、マラソンのときは玄関前集合、玄関前解散だろう?
突っ込もうかとも思ったが、止めておいた。
別にいまさら名雪との関係をどうのこうの言う奴なんて殆どいないんだ。

「まぁ、いいか。それじゃあ、登校しますか」
「うんっ」

元気のいい名雪の声と共に止めていた足を再び学校へ向け進めた。

「お、相沢、重役出勤だな」
「斉藤か、おはよさん」
「斉藤君、おはよぉ〜〜」
「おう、おはよう。今朝もはよからお厚いことで」

数歩も行かないところで去年のクラスメイトと鉢合わせる。
といっても、斉藤の方はマラソンの帰りらしいが。
校門の方からコースを外れて俺たちの方へ向かってきた。

「ま、いつも通りだ」
「たしかに、な」

いつものやりとりを交わして軽く笑いあう。
名雪もすでになれてしまったのか、少し苦笑いをしているだけだった。

「しかし、お前、いつの間にか学校中のいい所が集まってるよな」
「う……まぁ、な」
「卒業した川澄・倉田両先輩をはじめ美坂、水瀬、美坂妹、天野……」
「まぁ、転入早々に知り合った人たちばっかだからな」

そう、よくよく考えるとおかしいのである。
普通学年が変わったりするたびに出会いとか言うものがあるはずなのに、俺にはそんなものまったくなかった。
といっても、それはそれで、今のこの状態は割と楽しいものがある。

「さて、俺はそろそろ行くが、お前たちはどうするんだ?」
「そうだね、私たちもそろそろ行こうよ?」
「あぁ、そうするか」

そういいつつ、一歩目を踏み出したその時。

――― ガキッッ!!

何かが割れる……いや、折れた音だろうか。
その音に続いて轟音。

―――ギィィィィィィィィ!!!

金属がまるで何かを引っ掻いているような音に俺はやっと振り返ることができたのだ。
目の前にはトラックの前面。
そしてぶつかった瞬間、俺の世界はあっという間に黒一色に変わってしまったのだった……



















――― カチ カチ カチ カチ

時計の音。
時間の感覚が徐々に戻ってきて、それと共に他の感覚も目を覚まし始める。

「………」

まず目に飛び込んできたのはまばゆい光と真白い天井。

「……っ!?」

そういえば名雪はっ!?
そう叫びながら身体を起こそうとした途端、全身に激痛が走って浮きかかっていた上半身が再びベットへ墜落する。

「………っっっ!?」

墜落した衝撃で背中をもろに打ち付けるも、転がる事も出来ず危うく大声を上げるところだった。
といっても、痛み自体よりも身体がいうことを効かなかったショックの方がでかかったんだが。

「………」

散々痛みにのた打ち回った――いや、のた打ち回りたくても出来なかったのだが……後、少し冷静になった所で事態を把握しようと無い頭をフルドライブさせる。
とりあえずは身体中に存在する痛みに屈せず、上体を起こす。
ゆっくりと周囲を見渡す。
真白かったのは天井だけではなく、四方を囲む壁、そして床も。
そして強烈な違和感を覚える。

「……何の『におい』だ?」

いや、口に出すまでも無かった。
この人の感覚を惑わせるような不快な臭い。
こんな臭いを出すところといえばあそこ位しか考えられなかった。

――― カチ カチ カチ

ベットの横には小型のテレビとその上に目覚ましが置いてあった。
少し下に視線をズラすと真白な雪の花。
テレビの横に小さな花瓶――これも真白だった……と共に申し訳程度に咲いていた。
腕を伸ばしてその花を一本頂戴する。

「スノードロップ……か」
「あぁ、その通り。別名を雪の花というらしいけれどね」
「……お前か」

手にしたスノードロップをくるくると回しながら、いつの間に現れたのかわからない少年の方へ首を向ける。
その少年……勿論、『えいえん』の住人だ――はとても青白い顔をこちらへ向けている。

「……病気か?」
「いいや、もうそれは関係ないよ、もうこちら側に僕はいないのだからね」
「……そうなのか?」
「あぁ、ちょっと色々あったんでね」

そう言ってまぶしい光の差し込む窓をそいつは眺めていた。
いや、窓なんかじゃない、それよりもっと遠くを……

「Da capo al fine.」
「………」
「今の君の状況を表すのにこれほど適した言葉はないと思うのだけどね」
「そして個人的な感想だと、既にCodaに入ってるって所か?」
「そうだね、そしてあとはFineにたどり着くだけなんだ」

視線を再び俺の方へ戻して話を再開する。

「さて……約束は果たしたよ」
「あぁ、そうだったな。名雪を助けてくれる約束だ」
「そう、だから本来はここへ姿を現す必要はなかったんだ。だけど……」
「だけど?」
「僕は再びこの世界に絆を残しておきたいと思ってしまったんだ。だから君に一つお願いがある」
「なんだ?」

悲愴な顔で……青白いから余計そう見えるのかもしれないが――俺へ訴えかけてきているような気がした。

「僕はこれからもう薄れいく『えいえん』の世界と共に消え行く運命にあるけれど……僕のことを出来る限り覚えていて欲しい」
「あぁ、生憎だが俺は恩人の顔を忘れない人間なんだ」
「そうかい?ならよかったよ、『えいえん』を擲って禁忌に……時を戻す外法を使って」
「次は……また来世に、って所か?」
「……そうだね、今度は君と折原君にもっと早く出会いたいものだよ」

そう言って最後には微笑んで……
そう、微笑んで……
彼は消えていったのだった、スノードロップと共に。
そして部屋は再び沈黙に包まれる。
そこに来世への期待というものを残して……























――― カチ カチ カチ カチ カチ カチ

時計の音がイヤに響く。
時間の流れというものを必要以上に感じてしまう。
時計を眺めると午後1時を少し廻ったところだった。
もう少しすれば名雪が学校の帰りにでも寄ってくれるだろう。
期待とは違う、まったく根拠のない自信。
しかし、それでも名雪は来てくれるのだろう。

――― カチ……カチ……カチ……カチ……

そして時の流れは再び遅くなる。
誰かを待っている時間というものは遅く感じるというけれど、こうなってみて初めて実感する事が出来た。
まだまだ先は長い、しかし焦る事はない。
確かにこの世界は永遠ではないけれど、何れの時に終りは来てしまうのだけれど……
今までに築いてきた絆を大切にしようと思う。
折角、身を挺して願いを叶えてくれた奴がいるのだから……




●後書き

どうも皆さん始めまして。
疾風と申します、以後お見知りおきを。

で、すみません。
「時計」→「時間の流れ」をイメージして書いたんですが……結局へっぽこになってしまいましたね。
というか、メインキャラが名雪かどうかも怪しい……
やっぱり腕不足が否めません。
というか、私の筆が遅すぎるのか……

ではでは、できる事ならまた次のご機会に。



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