ぼんやりと空を眺めた。
曇天の空。眺めたところで面白いことは何ひとつありはしない。
ただ、何となくそうしたかったから。
そんな自分で哂ってしまうほどに曖昧な理由だけで空を眺めた。
「―――はぁ」
12回から数えることを止めてしまったため息。
駅前のベンチに腰掛けてから既に一時間は経過しただろうか。
確かめようと駅前に設けられた時計のモニュメントを見てみれば、確かに一時間は時間が経過していたようだ。
だけど一時間経過していた、ということがはっきりと認識できない。どこか嘘みたいで、真実味がない。
時間の流れは本当に穏やかで、抑揚もない。だけど、そんなことさえ感じられないほどに頭はいろいろなことを放棄していた。
「そういえば」
と、彼の言っていた言葉を思い出す。
二時間、だっただろうか。彼が従姉妹の少女に待たされた時間は。それと比べてしまえば、自分の状況なんてものはかなり軽く思えてしまう。
ああ、そうだ。
考えてみれば今日―――1月最後の夜などに外に出ようなどと考えるに至ったのもある意味彼のせいだ。
そう考えてから、あたしはベンチに座ったまま伸びをひとつ。
さらにため息を吐いてから瞳を閉じた。
―――思い起こすのは過去の出来事。
つらく、悲しかった。拒絶だけだった日々。
そこに至る少し前の、ひとかけら。
/ 雪 空 と 時 計 /
その日はとてもいい天気だった。
蒼く澄んだ、雲ひとつない空。
季節は冬に入っていたけど、どちらかと言えば暖かい、過ごしやすい日だった。
「ねぇ栞。何か欲しいものってある?」
ベッドの横にある椅子に腰掛けながら、あたしは訊いた。
別にこれと言った理由はなく、ただの気紛れからの一言だった。
「え、何でもですか?」
「バニラアイスは却下よ。あとやたら高いものも」
えぅーなんでですかーなんて言う栞を軽い睨みで黙らせてから、再び訊く。
「で、何かある?」
栞はうーんと可愛らしく悩んでから、
「……時計」
「え?」
「時計が欲しいです」
はにかんだ笑顔を浮かべながら言った。
栞にとって、それは本当に気紛れな要求だったのかもしれない。
だけどあたしにとってみれば、時計なんてものは要求として完全に予想できないほどに思考から抹消していたものだった。
時計。
置時計、壁掛け時計、腕時計、目覚まし時計、エトセトラ、エトセトラ。
他にも数々ある中、その意義だけは何ひとつ変わらない。時間を計る、数多の行動をする際の目安。
人々を束縛する、時間という名の概念の具現。
あたしは、そんな時計が嫌いだった。
「はぁ、分かったわよ。それじゃ買ってきてあげる。目覚まし時計でいいの?」
「なんでもいいですよ」
はいはい、と言って、あたしは部屋を出た。
それから店にやってきて逡巡すること十数分。
まわりから聞こえ続けるチクタクという音に嫌気が差しながらも、取り敢えずひとつの時計を選んだ。
店に来て最初に目を付けていたものだったが、結局最後までそれを上回るものが見つからなかったのだからそれに決定した。
「でもねぇ」
どうしてバニラアイス型なんてものがあるのだろうか。
カップのバニラアイスを模った目覚まし時計。ウエハースがスイッチになっているあたり、芸が細かい。
これ以上悩むのも時間の無駄だろう、とそのアイス型目覚まし時計を買うことにした。
決定すればその次の行動は速い。
迷わずレジへ向かい、清算を済ませる。
それから寄り道もしないで、帰路に着いた。
そんな帰路の途中、思い出すように考えた。
あたしは、時計が嫌いだ。ということ。
理由なんてものは明確すぎて嫌になる。他の人がどう思うかは知らないが、少なくともあたしはある理由 で時計が嫌いなのだ。
時計は時を刻む。
それは否応なく、誰がなんと言おうと。時計は無慈悲に時を刻んでいく。
時間は日本人を縛る、一番の大元だ。なんていうことを聞くけど、そんなことは別に何とも思わない。生まれた時からそれが当然として生きてきたのだから、今更どうこう思えるはずもない。
だから世間一般が考えるそんなことで時計が嫌いになんてならない。それだけを取るならむしろ時計は必須なものだろうし。
「―――はぁ」
ため息をひとつ。
目を閉じてみれば、浮かぶのは栞の笑顔だけだった。
どこか―――何かを悟ってしまっているような、先を見出せない、笑顔。
それを見てしまうたびに悲しくなる。嫌になる。泣きたくなる。
栞はもともと身体が弱かった。
ずっと入退院を繰り返しているし、激しい運動が出来ないことも分かっている。
だから。そんな妹を持っているから。
時計が、嫌い。
時計は時間 を刻む。―――誰がなんと言おうと。(
時計は時間 を刻む。―――無慈悲に。(
時計は時間 を刻む。―――まるで、命を吸っているかのように。(
「はい、栞」
「わぁ。ありがとう、お姉ちゃん!」
栞に買ってきたばかりの例の目覚ましを渡すと、本当に嬉しそうに喜んでくれた。
まぁバニラアイス型だし、依頼通り時計を買ってきたのだから、喜んでもらえないと困るのだけど。
喜んでもらえないと困るのだけど―――あたしはそんなことよりも内面が荒れていた。
目の前で喜んでいる栞を見ているのが辛い。時計を手に、あんなに喜ばないで欲しい。
出来るならば……今すぐにでもあの時計を床に叩きつけて壊してしまいたいのに。
「ねぇ栞。どうして時計が欲しいだなんて思ったの?」
出来うる限り平常を装って訊く。
その問い掛け自体に深い意味はない。ただ単純に、どうして時計なんていう注文をしたのか気になっただけで。
「理由、ですか?」
「そう」
そうですねぇ、なんて言いながら考える素振りをする栞に軽い笑みを浮かべながら次の言葉を待つ。
しばらく考えていた栞は、言うことを纏められたのか考える素振りを止めて、笑顔を浮かべて言った。
「時計って、何だか命みたいじゃないですか」
え、と。
喉から漏れたのはそんな情けない声だった。
それほどまでに予想外。それほどまでに不相応。
そんな言葉を栞の口から聞くなんてまったく思っていなかった。
「栞、なにを」
「このチクタク、って音が心臓の音みたいで、なんだか生きてるんだーって思うんですよ」
笑顔で、そんな笑顔で言わないでほしい。
泣き顔ならよかったのに。絶望した顔ならよかったのに。
どうして、笑顔でそんなことを言うんだろう。
その日の、それより後のことはよく覚えていない。
きっと自分の部屋に閉じこもって、寝てしまったのだろうか。
そして、それから数日後のことだった。
―――彼女は来年の誕生日まで生きられないでしょう。
そんな、絶望的な言葉を聞いたのは。
そんな、拒絶の始まりを告げたのは。
そんな、悲しい日々の始まりの時は。
ぼんやりと空を眺めた。
曇天の空。面白くもなんともなかった空は、今では真っ白い雪に覆い尽くされていた。
理由なんてものはないけれど。
ただ何となくそうしたくて空を眺めて、降り続ける雪を眺めた。
「―――はぁ」
もういったい何度目なのか。数える事が億劫になってしまったため息を吐いてから思考を巡らす。
時計を見てみれば既に1時間が経過していた。流石に身体も冷え切ってしまっている。いい加減帰らないと風邪を引いてしまうかもしれない。
あぁ、と思う。
見れば時計が示している時間は夜の11時58分。あと2分で日付が変わってしまう時間だった。
そこまで経ってから思い至る。自分がどれだけ相沢くんに感謝しているのかを。
あたしが栞を拒絶していたのを、栞が自分の生を諦めてしまっていたのを。その両方を救ってくれたのだから。
きっと彼にそのことを言えば、買い被り過ぎだ、と笑うかもしれないけれど。それでもあたしは感謝している。
相沢くんがいたから、あたしは今、こんなに穏やかな気持ちでいられるのだから。
きっと相沢くんがいなければ今も時計が嫌いなままだったかもしれない。別に今は好きかと言われれば言い切ることは出来ないけれど、少なくとも前よりは嫌いじゃなくなっている。
だって時計は命を吸うんじゃなくて、命を未来に続けてくれているのだから。
そんな風に考えられるようになるなんて、自分で自分を笑ってしまいたくなるけれど、うん、悪くない。
再度時計を見てみる。
時間は11時59分。しかも日付が変わるまであと10秒もなかった。
今、どこかで大切な人の腕に包まれているだろう最愛の妹へ。
こんな姉だけど、精一杯の祝福を送ろう。
あと、1秒。
時計を秒針がカチリ、と音を立てて動いたのを見てから、あたしは雪の降る空に向かって言った。
「誕生日おめでとう、栞っ」
あとがき
……つまり何が言いたかったのか。書いてた本人、よく分かってません。
取り敢えず今回選んだのは香里。Kanonキャラで一番書きやすいのは誰ですか、と聞かれれば即答で香里、と答えるでしょう。
一番普通の人。栞のことがなければ、本当に一番一般人。何の苦もなく書けます。口調も変なものないし。だおーとかえぅーとかあぅーとか。
そういえば、時計と決めた時点で「時計かぁ…香里だな」と連想したのがいまだに不思議で仕方がないです。
考えてみれば時計といえば名雪じゃないでしょーか。あれだけの目覚まし時計持ってるのに。
なんでそのことがまったく浮かばなかったのか…うーん、謎。
まぁいいや。取り敢えず今回のコレは、時計がどんなものかを考えているうちに出来たものです。
時計と命を掛けるのって多いですよねー。
連想しやすいのも分かるけど、まぁ…自分も書いたから何も言わないでおこうっと。
はい、そんなこんなで第2回のお題シリーズでした。
第3回開催地募集ー。立候補してください。立候補者がいないときは…どうしよう。まぁテキトーに決めます。
感想などは臨時掲示板へどうぞ。
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||