そういえば、と思い出したのが午後三時十五分。三時のおやつとばかりに大福を食べていた時だった。
 近場の高校に通う二年生、貫井浩司は冷や汗をたらりと流して、思い出した事実を反芻した。
「本日午後三時三十分に、駅前」
 口に出してみると、どうしようもなくまずい状況だった。テレビから垂れ流されるニュースも、今は耳に届かない。
 今いる自分の家から駅までは徒歩で三十分。走ればなんとか間に合う時間ではあるが、それは準備万端で家を出るだけといった状況でないと適用されない。事実、浩司はなにも準備してはおらず、格好はラフすぎた。
「やっば」
 小さく悲鳴をあげる。だがだからといってなにひとつ状況がよくなるわけでもない。
 浩司の言う駅前での待ち合わせは、実は隣に住んでいる友人兼幼馴染とのものだった。家が隣なのだから一緒に家を出ればいいと思えるが、如何せん、今回はその幼馴染の方は別の場所からの直行なのだ。一緒に行くなんて言うことはできなかったのである。
 そしてこの浩司は時間に関しては結構ルーズでもあった。
「氷のやつ、ぜったいキレてる」
 たらり。嫌な汗が流れた。
 とにかく今は急ごう、と意気込んで、浩司は外用の服を引っつかんだ。
 
 道を走ること幾分。ようやく駅前に到着した。
 駅前は綺麗に整備されており、どこか未来を先駆けたような外見をしている。都市計画の一環だろう。駅前に立てられた時計のモニュメント。螺旋が絡み合ったかのようなデザインはどこかの有名デザイナーが手がけたものだということを浩司は記憶の中から思い出した。
 と、その多重螺旋の前に、笑顔の件の少女がいた。
「――うわ」
「あら、遅かったわね貫井くん。わたし、全然怒ってませんから、とりあえず地面に額を擦り付けて謝ってくれます?」
 にこやかな笑顔でさらりと、とてつもなく恐ろしいことを言い放った。
 瞬間、その駅前の温度が下がったと思ったのは浩司だけではないだろう。
「あ、あはは……。や、やぁ氷。……待った?」
「いいえ、そんなことありませんわ。ほんの十五分くらいかしら」
 件の少女――浅生氷は壮絶に微笑んだ。後ろでポニーテールにされた髪が小刻みに揺れる。
 氷の笑顔は完全だった。
 笑顔なのに、恐い。なにより目が笑っていない。そして口調が違う。呼び名も違う。
 つまりそれが指すのは、
「超、怒ってる」
「あったりまえだこのバカ浩司―――!!」
 そんな罵倒を、浩司は至近距離で聞いた。


 浩司と氷が映画館を出たのが丁度日の沈む頃だった。
「いやぁ、面白かったわねぇ。今の映画」
「んー。俺としてはもう少し、なんて言うか……現実味を持たせて欲しかったな」
 駅前での待ち合わせ後、浩司と氷は映画を観に来ていた。もともと今回の待ち合わせはこの映画を観るためのものであり、観るものは今話題のホラー。
 内容は確かに恐かったのだが、あの氷よりはマシだ、と浩司は思ったりしたのだが口に出すことはない。
「そう? わたしは十分現実味あったと思うけどなぁ……。幽霊とか、本気で恐いと思っちゃったけど」
 あはは、と氷が笑った。
 ホラーで幽霊。なんとも安直だったのだが、それでも映画そのものの出来は評判になるだけのことはあった。演技や映像、音楽に演出。全て、確かに絶妙だった。幽霊と言う抽象的なものを効果的に使用し、恐怖心を煽る。予想もできないような展開が繰り広げられ、ラストは二転三転として観る人を飽きさせる事がない。
 確かに、映画としては素晴らしかった。だけど、
「でもあんなことはないって」
 浩司には幽霊云々の話は面白いとは思えない。
 なぜなら、彼には誰にも話していないひとつの秘密があるから。

「そういえば浩司。あんたってこれから何か用事あるんだっけ?」
「まぁな。用事っても、毎度おなじみの食料調達」
 相変わらず大変ねぇ、などと氷が感心したかのように言った。
 貫井家は両親と息子ひとりという、よくある一般的な家庭だった。裕福ではないが貧乏でもない。中途半端だがなにひとつ不便もない。ただ父親は単身赴任中で家には母親と息子しかいない。
 そのことが関係しているのか関係していないのか。母親は仕事好きの傾向もあって日中は働いていた。そのことを浩司は別になんとも思っていない。思っていないが、食事を用意してくれないのだけは勘弁して欲しかった。
「じゃあ、わたしも便乗しちゃおっかなー」
「却下だ却下。お前にまで食わせる気はねぇよ。つーか昨日食わせたばかりだろ」
 そうだっけ、と舌を出す。
 浩司が自分で食事をつくるようになってから、氷は度々食べに来るようになった。元々料理が苦手ではない浩司にとっては別に大したことではなかったのである。
「でも浩司のつくったご飯は好きなんだけどなぁ。おいしいし」
「お前が絶望的に下手すぎるだけだ」
 そう、氷は絶望的に料理が下手だった。
 普通の食材、普通の調味料、普通の環境で、普通ではない代物をつくる達人だ。
 以前、料理の特訓と意気込んでつくった代物は、赤と青が交ざったもので、しかも白飯の上にこれでもかと盛られたものだった。聞いたところによるとカレーらしい。
 ……つまりは、絶望的なのだ。彼女の周りでは「氷に料理はつくらせない」という暗黙の了解があるのも事実だった。
「ふーんだ。絶対に汚名返上してやるんだから」
「まぁ期待しないで待ってるわ」
 お互いに笑いあって、そのまま、また明日と告げた。


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