昼休みの生徒の動きは大別して三種に分かれる。
ひとつ目が学食に走る者。
安い早い美味いが売りの学食は人気がなかなか高い。少々大味なところは学食なのだから仕方がない。学生の大半はここを目指して授業終了と共に走るだろう。
ふたつ目が購買組。
学食は確かに安くて美味いのだが、席が少ないという問題がある。その点、購買のパンは買えさえすればどこでも食べられるという利点がある。ただし、文字通り戦争と成り得るために敬遠する人が多いのも事実だ。
そして三つ目が、弁当を持参している者だ。
これは勝者だ。他人が学食や購買に走るのを尻目に、悠々と持参した食事をとることができる。味も自分好みにでき、さらに金銭のほうでも節約が可能。問題があるとすれば手間だけだろう。
浩司はやり遂げた達成感を胸に揚々と屋上への扉を開けた。その手には購買で買ったであろうパンが握られている。
重い金属音を伴って扉が開く。一応立ち入り禁止の屋上には誰もいない。
空気はどこか冷涼としている。
学校の中であって、学校の中ではない。この区画だけは学校内という領域から隔離された異界のような静けさを保っていた。
それも当然だ。
立ち入り禁止というものは存在を抹消された場所に他ならない。学校という限られた敷居の中、抹消された場所は当然学校とは別のものだ。空気が同じであるはずがない。
浩司は呆とした瞳でまわりを見回した。
限られた敷居の中で最も空に近い場所。――そこに。
「視えた」
ひとつ、人型が浮遊していた。
昔、飛び降り自殺があったらしい。
原因は覚えていない。何より自分が生まれるより前の話だ。学校内でも詳細を知っている教師はいない。
とにかく確かなのは、この屋上で命を捨てた者がいるということだけ。
浩司は自分よりも上、三メートルの高処にある白い人型を見据えた。
時おり形そのものが透明になる姿は、一般的に言われる幽霊を思わせる。ふわりふわりと浮かぶ様は、浮かんでいるというよりも泳いでいるかのようだ。
誰にも強制されず、何者にも束縛されず。
空という海を漂う魚。
魚はゆっくりと、まるで空気に乗るかのように泳いでいた。その視線と浩司の視線とがゆっくりと交差する。
意思というものがあるかは彼には分からない。言葉を交わすこともできず、交わせる言葉もない。
浩司はゆっくりと視線をフェンスの外へ向けた。
屋上という高処からの視界はどこか不安を掻き立てる。
それは感じさせる世界を圧倒的にまで拡張するためか、それとも遠いという印象のためか。
高い視界から感じる、綺麗、という印象よりも強い、ここから落ちたらどうなるどろう、という漠然とした不安。
人はその不安を脅威とは感じない。誰もが死を感じ取っているというのに脅威と感じることができないのは、まるで魔法のようでもある。
そう考えるならば高所恐怖症という人間が異常なのではなく、恐怖を感じないその他の人間こそが正常から乖離した異常なのではないだろうか。
―――堕ちた彼女は何を思ったのか。
飛び降り自殺という、ただでさえ遺書めいた死を選んだ彼女は一体何を訴えたかったのか。
空に、そして死に。最も近いこの場所にあって彼女が選択した飛行。
飛行の終焉は落下だということ。
浮遊を続ける彼女は、いまだに浮遊から飛行に変わってしまったことに気付けていない。
はぁ、と浩司は溜息を吐いた。
意気揚々と屋上にやって来たまではよかったが、結局は気落ちしてしまった。
「また、強くなってきたな」
ぼんやりと呟く。
最近になってまた視えるようになってきた。一定の周期と共に、浩司の目は視えないものを視るようになる。
――そう、貫井浩司には秘密があった。
彼にとって幽霊とは抽象的でも、一生係わり合いのないものでもない。
視える。視えるのだ。
現世に留まる、死に切れなかったモノたちの残滓が。
迷ってしまった、還る先のないモノが。
未だに気付けていない、成ってしまったものが。
彼には、視えてしまう。
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