その日、ふとした気まぐれで駅の方へ歩くことにした。
 どうせ夜までは何も視えないし、何も起こらないのだから日中くらいは自由にしてもいいだろう。
 そんなことを考えながら少女は歩いていた。
 路には楽しそうな笑い声が響いている。ちょうど学生たちが帰る時間帯と重なったのだろう。見ればたくさんの学生が歩いていた。どれも本当に楽しそうで、彼女も知らずうちに笑みが零れていた。
 現実と非現実が溶け合ってから既に多くの時間が流れた。
 彼女自身そのことに後悔してはいないが、それでもただの日常だった時を羨ましくも思う。
「……弱いなぁ、私も」
 苦笑する。
 羨望は捨てたつもりなのに、結局は全然捨て切れていない。いつでも日常に憧れ、それ故に今日も夜の街を歩くことになるのだろう。
 日没まで残り数時間。空も段々と赤らんできた。
 せめてこの日中、自由を謳歌できる時間だけは最大限に楽しもう。
「よし」
 そうと決まればまずは行動だ。止まっていては時間も勿体ない。
 ちょうど右手側に石造りの階段があった。見上げてみれば中々高いようである。
 神社へでも続くのだろうか。行ってみるのもいいかもしれない。
 なんだか楽しくなってきた気持ちを引っ張って、少女は石段に足をかけた。


 浩司はいつも通り、学校が終わると同時に帰路についていた。
 珍しくひとりでの下校である。いつもなら隣を歩いているだろう氷は、部活の助っ人に引っ張られていった。運動神経抜群で帰宅部の氷はよくいろいろな部活から助っ人に呼ばれているようだ。
「ご苦労なことで」
 溜息混じりに呟く。
 氷との付き合いの長い浩司は、当然彼女の悪癖も知っている。
 流石に部活の助っ人程度なら問題ないと思うが、気苦労は絶えないようである。
「ま、明日になれば結果も分かることだし……っと」
 ふと、いつもは気にしない石段が目に入った。
 見上げてみると中々高い。
 確か神社に通じるんだったか。そう呟いて足をかけた。
 時間は夕方前。段々と赤らんできた空は、まるで炎が広がるかのようだ。
 一段一段、踏みしめるようにして階段を上っていく。
 石造りの如何にも古そうな階段だが、小奇麗に整理されているところを見ると管理だけはしっかりされていたようだ。
 微かな風が階段の脇に広がる木々の間を抜ける。木の葉を揺らし、サラサラと音を鳴らした。
 耳を澄ませば虫の声も聞こえてくる。
 どこか時代を間違えてしまったかのような錯覚。現代に失われた平穏の具現とも感じられた。
 ――石段は続く。
 踏みしめる一段一段は過去を思い起こさせるための切欠にも思える。冷涼な空気はどこか心地良く、心の奥底まで染み渡るようだった。
 赤みを増し続ける空はいつもなら不安を掻き立てるというのに、今はそれすらも心地良い。
「……」
 言葉を発する意味などない。
 この空気において言葉など存在する意義がなく、必要なのは階段を踏みしめる、その行為のみと言える。
 何がそこまで浩司を掻き立てるのか。
 答えは……石段の終わりに在った。
 
 ――瞬間、呼吸を忘れた。
 
 神社の境内、その中心に伸びる影は少女のものだ。
 陽の赤に照らされる境内はまるで幻想を内包しているかのように神秘的な空気を持っている。
 浩司はその光景をぼんやりと眺め、気付けば足が進んでいた。進む先には少女の後ろ姿がある。間合いにして五足半となったところで自然と足は止まっていた。
「……」
 何を、言おうというのだろうか。
 意識もしないうちに近付いたのに、話しかける理由などひとつもない。
 サァ、と風が流れた。少女の髪が風になびき、赤い光を粉のように弾く。
 その光景に思わず見とれた浩司の前で、少女が首だけ振り返るようにして、言った。
「また、会ったね」
 そんな、透き通るような呟きで。


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