「まさかこんなところで会うことになるなんてね」
少女はやわらかい笑みを浮かべていた。赤い光に照らし出される姿は、朧気で儚い印象を植え付ける。触れると消えてしまいそうな……幻想に近い現実。
「まったくだ。また会うなんて思いもしなかった」
「案外世間は狭い、ってことじゃないかな」
かもな、と浩司は顔を伏せながら呟いた。
「……なぁ」
浩司の中、いろいろな言葉が駆け巡った。昨日会った少女が目の前にいる。非現実の肯定が目の前にいる。全ての答えが、目の前にある。
「……やっぱり教えてくれないのか?」
伏せていた顔を上げながら浩司は言った。
少女もまた、浩司の正面を向くように完全に振り返ってから言った。
「それは、ただの好奇心?」
「違う」
少女に浩司は断言する。
好奇心で無闇に入り込んで自滅するほど愚かではない。浩司が知りたい理由は別にあった。
「じゃあ――」
なんで、という問いは浩司の言葉によって遮られた。
「俺が現実に生きてる人間と思うならそれは間違いだ。非現実と現実は等価値。非現実を肯定しているからこそ、俺はここにいる」
それに、と続ける。
「非現実の否定はあんたの存在の否定だろ? 寂しすぎだろ、それは」
少女は浩司の言葉に面を食らったようだった。
目を丸くして驚いたまま、
「……ばか?」
そんなことを呟いた。
「いや、さすがに名前も知らない人にばかはどうかと思うぞ」
「和葉凪」
今度は浩司が目を丸くする番だった。
「……は?」
「だから、名前。私は和葉凪。はいどうぞ」
そう言って、凪と名乗った少女は笑顔を浮かべた。手をまるでマイクを持っているかのように差し出す。
浩司は軽く笑ってから、自分の名前を告げた。
「貫井浩司。ま、好きに呼んでくれ」
「私も好きに呼んでくれていいよ、浩司」
いきなり名前かよ、と浩司は呆れながらも、同じように告げる。
「じゃあ凪で。よろしくな、凪」
■
「視えてるなら解かると思うけど――」
凪は浩司の表情を伺うように、言葉を選びながら言った。
「アレは、霊的なものよ」
霊的なもの。つまりは幽霊や幽鬼、妖怪、物の怪の類に相当する、ということだ。
その事実を浩司がどう受け止めたかといえば、ただ事実として受け止めたに過ぎない。もともと視えていた浩司には大体予想ができていたということもあるが、非現実を否定しない人間であるがために、そのまま受け入れることができたのだ。
「悪霊とか、そういったもんか?」
「まぁそんなところかな。あそこまで明確な形を持ってる霊なんて初めてだから、確実とは言えないけど……」
思い出すかのように凪は瞳を閉じた。それに倣って浩司もまた、瞳を閉じて回想する。
――浮かび上がるのは龍の顎を髣髴とさせるクロい影。
幽霊というものにもピンからキリまであるが、アレはその中でも特別だったと浩司は思う。形が確定していたこと、この世に現存する生物の形をしていないこと、・・明確・な・・殺意があったこと。
その全てが今までに浩司が視てきた幽霊というものとの差異だ。
幽霊はただ「其処に在る」存在だ。朧気に白く透明で、ただ何をするでもなく呆と漂うもの。人を襲うのではなく、人に融ける。
「霊、っていうには変じゃないか? しかもクロいし」
その浩司の言葉に、凪は不思議そうな顔をして訊きなおした。
「クロいって……なに?」
「あの悪霊。夜の中でも分かるくらいにクロかっただろ?」
「私には、灰色に視えたんだけど……。というか、霊ってみんな灰色に視えるけど?」
はて、と浩司を首を捻った。同じものを視たというのに、その視え方が互いに食い違っている。
浩司にはクロく、凪には灰色に。
その視え方の違いは何かと考えようとした浩司だが、その前に凪の言葉に遮られた。
「まぁ、霊の視え方は人によって違うらしいし、そんなに悩むこともないけどね」
「そういえば……そんな話を聞いたことがあるような気がしないでもないか」
それで、と凪は話を切り替えるように切り出した。
「この悪霊ってのが、最近増えてるの。この三日間で五件。一日一件以上のペースよ」
「アレが、五件……?」
知らず、悪寒が走った。
自分自身は視えていたからまだいい。だが、世間一般は幽霊なんてものは視えないのだ。現実だけを見ている世間は非現実を視ようとしない。だから視えていない人は気づくこともないままあの深い闇の、穴に―――。
「襲われた人もね、いるの」
胸を押さえつけるように少女は言った。
浩司はその言葉に衝撃を受けた。
「やっぱり、いるのか……」
「そうよ。だから私が毎晩、こんなことがこれ以上ないように街を回ってるの」
凪の言葉を反芻する。彼女が街を廻る理由。それは昨日、去り際に告げられたひとつの名。
「附霊師」
呟いた瞬間、凪がぴくりと反応したのが分かった。
気にせず浩司は続ける。
「附霊師って……なんだ?」
「それは……」
凪が口を開いた時。赤い陽が沈もうとしていた時。一陣の風が吹いた、その時。
どくん、と血が啼いた。
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