月は煌々と輝いている。
 まだ満月とは言わないまでも、月は次第に丸みを帯びてきていた。
 その月光が照らしだす蒼い路地には、今は示し合わせたかのように浩司と氷のふたりしかいない。
 空気に混じる違和感を直接肌で感じるかのように、浩司は身震いをした。
 日に日に違和を覚える度合いが上がっている気がする。偶々霊が目には入れば、以前よりもはっきりと視えるようになっているのも事実だ。
 何が影響しているのか、それは浩司には分からない。
 いや、今はそれを考える余裕すらないと言える。
 身を刺す違和感に浩司は地を蹴り、そして氷に叫んだ。
「氷!」
「……え?」
 氷は当然、霊を視ることができない。
 そんな氷が凪のように反応できたかと言えば、当然否だった。
「チ……!」
 氷まであと一歩。手を伸ばせば届く距離。
 耳に届くのはごうごうという空気を裂く音。
 違和感の大元は、既に視界に収まっていた。昨日ほどではないが、でも同じクロい影。
 距離は――浩司の方が近い。
 大丈夫だ、間に合う。
「わ……!?」
 どん、と全力で押す。
 その衝撃と慣性を無理やり捻じ伏せて、浩司は横へと跳んだ。
 真横をクロい影が抜ける。紙一重という言葉を想像し、背中に冷たい物が流れた。
「いったぁ……。ちょっと浩司! いきなり何すんのよ!」
「馬鹿! 早く逃げろ!」
 叫ぶ浩司。だが、氷には通じるはずがない。
「あんた何言って――」
 氷がその言葉を続けることはできなかった。
 ぞくり、という冷たい気配が一瞬の内に彼女を包んだからだ。
 浩司の目にはハッキリと視えていた。クロい影が急速に方向転換し、氷へと迫った姿が。
「ざっけんな……」
 闇の底から搾り出したかのような声だった。
 軋む躰。奥底で叫びを上げるナニか。それを無視して全力で地を蹴った。
 氷に届くまで後二足。
 クロい影は氷まで約一足半の距離といったところか。
 
 ――向こうの方が早い。
 
 そんなことは知らない。
 どうせやることは既に決まっている。後も先も知らない。ただ、全力で。
 ばかん、とクロい影が割れた。
 その先にある闇を氷は視ていない。視えていない。
 ふざけるな。
 現実に生きる人間を、非現実に存在するモノが巻き込むな。
 拳を握り込む。
 闇が氷の半身を呑み込もうとしている。――させるわけがない。
 
「ざけんな、クソ野郎――!」
 
 自分の中で定めたルールさえも振り切って、ただ全力で。
 その拳を叩き込んだ。


 確かな手ごたえを浩司は感じていた。
 感触はゴム玉を殴ったかのようだ。その感触に自分が今何をしたのかを再認識した。
「なぐ、れた?」
 殴れた。霊的な力を持っていないはずの人間が、霊的な存在を殴り飛ばした。
 そんなことはあり得ない。あり得る筈がないのだが、確かに浩司は触れた。
 ならば何故。
 考えようとして、頭がぐらりと揺れた。
「ぁ」
 まずい、と思った瞬間には視界が廻っていた。地面が急速に近付いてくる。
 だがその前に、多分気絶しているだけだろう氷の姿と、自分の名を呼びながら走ってくる凪の姿が見えた。
 それで安心したのか、ぷつん、とまるでテレビの電源を消すかのように。
 浩司の意識はあっさりと途切れた。


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