この日、学校を休んだ。
 今は学校に行くよりも重要なことがあるからだ。
 午前。街中を回り、異常がないかを調べた。
 午後。図書館へ行き、いろいろな文献を読み漁った。
 そして夕刻。
 再び、浩司は神社へとやってきた。

「よぉ」
 軽い言葉を浩司は掛けた。
 視線の先には長い影が伸びている。
 赤い光を弾く、艶やかな髪を風に流している姿はどこか幻想的だった。
「もう大丈夫なの?」
「まぁな」
 夕日を背に、凪は言う。
「私は、止めたほうがいいって言ったよね?」
「あぁ、言ったな」
「でも……その目は止めようなんて、思ってないね」
 浩司は視線を地に落とし、そうだな、と呟いた。

「危険な目に遭うと分かっているのに?」
「危険な目に遭う人がいると分かっているから」
「できることなどないに等しいのに?」
「できることならあると気付いたから」
「非現実と現実が溶け合ってしまうのに?」
「非現実と現実を肯定する。俺は、もう迷わない」

 凪は顔を伏せた。
 ふたりの間を沈黙と、吹き抜ける風だけが過ぎていく。
「会ったときから思ってたけど、君って結構強情だよね」
「そうかもな」
 ふたり揃って軽く笑う。
 そこには先ほどまでの緊張感に近い空気はなかった。
「……いいよ。どうせ何言っても聞かないだろうし。それに……私も聞きたいことがあるから」
「わるい。話は見回りの中で、でいいのか?」
「いいよ。それじゃ――もう夜も近いし、行こっか」


 夜の闇は深い。
 昼間は喧騒に溢れていた路でさえ、夜になればその色を隠してしまう。
 肌寒い闇の中、蒼々と夜を照らす月光だけが生きているかのようだ。
 月だけが生きている死街。
 その闇の中を、浩司と凪は並んで歩いていた。
「俺さ、幽霊とか分かるんだ」
 唐突に浩司が呟いた。
「見なくても……そうだな、遠くても居るだけで分かる。気配って言うか、そんな感じ」
「ホントに? 凄いよそれ。私、視えるだけだもの」
 凪の驚いたような声。
 霊が視えるだけでなく、感じられる人間というものは皆無に等しい。
 気配、などという言葉がある。武術を心得るものならば気配を読むことができるなどと言う者がいるだろうが、これはそれとはまったくの別だ。
 何せ、霊には気配などと言うものは存在しない。
 気配とは生きている物が生きていく上で必然とする行為が現れるものだ。
 霊とは生きていない存在。その存在が気配を発する道理がないのだ。
「でも何で分かるの? これって、素質とか何か?」
「いや、これは――」
 口から零れかけた言葉を呑み込む。
 話すべきことではないと思ったからだ。
「――俺も、よく分からない」
「そっか。それじゃ仕方ないね」
 浩司が思った以上にあっさりと凪は引き下がった。
 それほど興味があったわけでもないらしい。できないものはできない。高望みはするべきではない、という考えを凪は持っていたからだ。
「話、他にも何かあるんでしょ?」
「あぁ。……ちょっと、コイツ見てくれ」
 凪の言葉に、浩司はポケットから折りたたまれた紙を取り出した。
 丁度傍にあった電灯の下に立ち、紙を広げる。
「……地図?」
「この辺りのな」
 縮度は低めの、詳細が書き込まれた街の地図だった。
 その地図の中に、いくつか赤で印がしてある。数で言うと二十程。分布を見れば、中々の広範囲に渡るばらつきだった。
「これは?」
 当然、凪もその印を疑問に思った。
「コイツは今日いろんなところを回ってるときに、気配が残ってた場所をチェックした結果」
「……確かに、私があの悪霊に遭ったところと大体一緒みたいね」
 やっぱりか、と呟く。
 調べている途中、最初に襲われたところに辿り着いたときから思っていたのだ。
 これは、あの悪霊が現れた場所ではないのか、ということを。
「でも、このひと回り大きな丸は何?」
 言う凪が指す丸は、確かに他と比べてひと回り大きい。
 それが四つ並んでいた。
「他の所よりも気配が強く残ってたところ。……心当たりはないのか?」
「うん、ない。でもここから結構近いね。……行ってみようか」
「そうだな。俺には分からないことでも、凪なら分かるかも知れないし」
 じゃあ早速、と凪は地図を見て一番近い場所へと向かい歩き出した。
 浩司もそれに続く。
 街は相変わらず死んでいるかのようだ。
 街灯の明かりはまるで穴のようにも見える。光の穴。闇から救い出す唯一の光。
 そう思ってしまうほどに闇は深かった。
 肌寒い程度のはずなのに、今は全ての体温を奪われかねないと錯覚してしまう。
 知らず身体が震えていたことに浩司は気付いた。
 それは寒さか。緊張か。恐れか。
「落ち着け……」
 ひっそりと呟く。
 気持ちだけが加速していくのを自覚しながら、抑えることができない。
 こうして歩いている時間ですらもどかしく感じる。
「落ち着け」
 もう一度、呟く。
 声にならないほどの小さな呟き。だが、自身を抑えるには何とか事足りた。
 歩く速度は変わらず、夜の寒さも増すばかりだ。
 
 目的地はひっそりとした空き地だった。
 空き地とは名ばかりに、広さはあまりない。
「ここ?」
「……あぁ」
 ぼんやりと答える。
 凪は空き地の中を歩き回り、何かないかと調べているようだ。
 対し、浩司は空き地の入り口で立ち止まったままだった。
 ぼんやりと……まるで人形になったかのように立ち尽くす。その姿はまるで霞が掛かっているかのようで、幽鬼を思わせる。
 一歩踏み出した。
 この公園は浩司にとって馴染みの深いものだった。
 小さいころ、いつも遊んでいた場所。そして、あの月夜の記憶。
 浩司にとってみれば全てが始まった場所とも言える。
 空の月はあの時ほどに輝いてはいない。あの夜は満月だった。
 夜空の月は満月に近いが、それでも満月ではない。
「浩司」
「ん……?」
「どうしたの、ぼーっとして」
 いや、と浩司は言葉を濁した。
 凪は怪訝そうな顔をしたが、浩司は目を逸らすことでその顔を見ないようにした。
「……それで、何か分かったのか?」
 目を逸らしたまま浩司は訊いた。
「何もなかった、っていうのが異常かな」
「それって、異常なのか?」
 何もないということはつまり正常ということだ。少なくとも浩司の考えではそうだった。
 だから浩司はここに来たとき、気配だけが強く残っているだけで、別に何かあったわけではないと考えた。
 だが、凪は何もなかったこと自体が異常だと言う。
「浩司は他よりも強く気配が残ってた、って言ったよね? つまりそれはそれだけの影響力を持つ霊がここに出たってことなのよ。影響力を持つのは基本的に悪霊。そして悪霊は何らかの意図がなければ出てこない」
 ほら、既に異常じゃない。凪は結論付けるように言った。
 考えてみれば確かにその通りだった。
 浩司が見て回ったのはここだけではない。多くの場所を回り、悪霊に襲われた人が居る場所も回ったのだ。
 その中、人の魂の残滓がある場所が数箇所あった。
 凪の言う、襲われた人の魂だろう。
 なかった箇所は全て凪が事前に食い止めたところだ。
 
 ならば何故、この場所には何もない。
 
 凪は、この場所に来た事がない。
 つまりは誰かが襲われたかもしれない場所に、止めに入っていないということになる。
 いや、これはそれ以前の話だ。
 ここで何があったのかさえ分からない。
 本当に人は襲われたのか。それとも、ただ霊が出ただけなのか。
 浩司には分からないが、予想としては前者が考えやすいのも事実だ。
 悪霊は目的がなければ現れない。目的とは即ち人魂に他ならない。
 そう考えれば確かにこの地は、これ以上にない異常である。
「確かに、これは異常だな」
「でしょ? でもダメね。これだけじゃ手がかりでもなんでもない」
「下手をしたら今回のとは無関係っていう可能性もあるか」
 頷く凪を見た浩司は、これからどうしようか考えようとして、
「ぐ……!」
 突発的な胸の痛みに膝を突いた。



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