これは痛みよりも疼きに近い。
まるで自分の中で警鐘を鳴らされているようだ、と浩司は思った。
疼きは強くなる一方だ。同時に、空気が張り詰めるような気配を感じ取る。
「こっちか……!」
笑う膝を無理やりに立たせて、身体に鞭を打って走り出す。
凪の声が聞こえた気がしたが、走り出した身体は止まろうとしない。
夜の街を走る。
気配を感じる大元までの距離はそれほど遠くない。走れば数分で辿り着くだろうという距離だが、その距離ですら浩司には果てしなく遠く感じた。
肺が空気を欲しがっている。脚の腱が止まれと言っている。
全て無視した。
気配が段々と近くなっているのが分かる。ねっとりと不快な、まるで瘴気を思わせるかのような気配。
気配の主がいったいどんなものなのか。気配の主が何をしているのか。すべて想像の粋を出ない。浩司にはそれが言いようもなく不安であり、またどこまでも気分の悪いものだった。
目的地まで、残る角はふたつ。
後ふたつの角を曲がれば、この気配の正体が分かる。――そこに至ったとき。
「……な」
気配が、消失した。
まるで溶けるかのようないきなりの消失に浩司は立ち止まった。
立ち止まって、それでもまたすぐに走り出す。
角を折れ、その先を曲がる。
「ここか!」
大きな気配は消失したものの、まだその残滓は残っていた。間違いなく例の四件と同じものだ。
人気のほとんどない細い路地には明かりすらない。
どこまでも闇に包まれたこの場所で何があったのか……それは浩司には分からなかった。
「浩司!」
後ろから凪が追いついてきた。
「いきなり走り出しけど、一体なんだったの?」
「……ここに、空き地と同じ奴が出た」
その言葉に凪の表情が驚きに染まった。
「でもまたいきなり消えやがった……。一体何なのか、俺にも分からない」
言って俯いた浩司の目に、あるモノが映った。それを、慌てて拾い上げる。
「なに? ……携帯電話?」
横から覗き込むように見た凪が言う。
確かに携帯電話だった。オレンジ色の、やけに女の子らしいストラップのついた携帯電話。
「落し物……って感じじゃないね」
「……あぁ」
その携帯電話はふたつ折りタイプのものだったが、浩司が見つけたとき、それは開いた状態で落ちていた。
しかも、電源は入っている。
映っているのがメールの入力画面だということも考えると、ただの落し物だとは考えられない。
そうして考え付く結論は多くはない。
一番高い可能性を述べるとするならば、恐らくは次のようになるだろう。
「さっき現れた奴に……襲われた?」
突如出現し、また消失した気配。
その気配の主が何をしたのかは分からない。だが、ここに居合わせた人間に何かしただろうという予想をするのは容易だ。
攫ったのか、それとも何らかの方法で消してしまったのか。
浩司にも凪にも分かることではないが、放っておけるものでもない。
携帯電話を一応のように交番に届けた後の夜道。
ふたり並んで歩いていた時、凪は突然に言った。
「浩司、君は明日学校に行きなよ」
前振りもない唐突の提案だった。
「いや、俺も手伝うから」
「いいの。どうせ午前中は悪霊も出ないんだから、調べられることは限られてるし。君も学校に顔出しとかないと皆に心配させるよ?」
そりゃそうだろうけど、と言い淀む。
凪は畳み掛けるように言葉を続けた。
「それに私の方が情報収集に慣れてるから。あ、地図貸してくれる? 調べたいことがあるんだけど」
「お、おう」
押し切られる形で浩司は凪に地図を手渡した。
凪は満足そうに微笑むと、
「じゃあまた明日。また同じ時間、同じ場所でいいよね?」
返事も待たず一方的に告げると、じゃね、などと言って走り去ってしまった。
呆気に取られていた浩司はしばらくして平静を取り戻すと、自分の帰ることにした。
その途中、今日あった事を考えながら呟く。
「なんだったんだろうな、一体」
呟きは闇に溶け、静かに霧散した。
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