第27話   境 界 を 彷 徨 う

 

 

 

 長い夜が明け、陽が昇り始めた。

 名雪とあゆは眠っている。さすがに、体力的にも精神的にも疲れ切っていたようだ。

 

 おそらく、世間というものは昨夜の出来事を何も知らないのだろう。

 水瀬家へと戻ってきた祐一は、秋子からそんなことを聞いた。

 普通、あれだけの騒ぎが起きればひとりくらいは必ず野次馬心から観にくるだろう。それが一切なかったのだからあながち嘘ではない。

「でもどうして?」

 当然の疑問だった。観に来なかった、というその事実が奇怪なのだ。人間、誰しも好奇心には勝てないものだ。その強さには人によって差があるものの、好奇心のない人間など存在しない。

 なのに誰ひとりとして観に来たという事実がない。それは、異質なことだった。

「秘密です」

 穏やかな笑みで、そんなことを言う秋子。

 秘密と言われてしまっては、自分で勝手に納得するしかない。―――と言っても、実際にこんなことを出来るのは能力だけだろうし、秘密と言う秋子は、その能力を使った本人なのだろう。

 くわしく知ることは出来ないが、恐らく秋子はかなりの能力者だ。

 以前、佐祐理が言っていたように能力者がその能力を熟知し、自らの力を完璧にコントロールできるようになれば溢れる能力の波動を抑えることができる。

 そして秋子からは能力の波動を感じない。まったく、とは言わないがほとんど感じられないのが事実だ。

 感じられる量も、本当に微量。まだ能力に目覚めていない能力者――あゆのような能力者から感じられる量より、さらに少ない。

 ―――そこで、思い出した。

「あの…秋子さん?」

「はい?」

 あゆも秋子も、傷ひとつなかった為にすっかり忘却してしまっていたが、

「襲われたり、しなかったんですか?」

「大丈夫でしたよ」

 ふふっ、と笑う。

 まぁ、実際大丈夫だったようだから、この際気にしないでおくとしよう。

 

「それよりも祐一さん、祐一さんこそ大丈夫ですか?」

「えぇ。取り敢えずは大丈夫です。能力の使い過ぎで体中に力が入らないのは確かですけど」

「―――祐一さん、何があったんです?」

 秋子は、ほとんどお見通しのようだった。何が起きていたのか、おそらく薄々気付いている。

 はっきり言って、あまり話したくはないことだ。

 自分の中に、また違う存在が居る。そんな異質で、人とかけ離れたコトを話したいなんて思うはずがない。

 だけど―――話そう。

 ここで隠しても、逆に心配を掛けるだけになりそうだ。それに、もしかしたら話すことで何かがわかるかもしれない。

 話そう。

 昨晩あった、出来事のすべてを―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その扉には、鍵が掛かっていた。

 精神という鍵が掛かっていたのだ。

 何よりも頑丈でありながら、何よりも不安定な鍵。

 彼は、その存在を知らないままに生活を送ってきた。

 ただ日常生活を送るだけならば、その存在を知ることなどなかっただろう。

 だが――見つけてしまったのだ。

 鍵の存在を気付く上でのひとつの力。

 能力という名の、その力を。

 鍵は頑丈であったが、不安定。

 能力に目覚めたが為に、鍵――その源と言える精神が能力に流れていった。

 故に、その鍵はさらに不安定になり、そして―――外れた。

 鍵の外れた扉に、束縛する力などまったくもって皆無だった。

 その扉が開く。

 扉から這い出たモノは、己を認められる時を待っていた。

 精神の奥底で、ただ静かに、その時を。

 

 そんな時―――接触があったのだ。

 

 這い出た存在は、紅を有す者。

 そして、紅が求めたモノは、確かな憎悪≠セった。

 負の感情、その中でも憎悪は己を見失いやすい。そして己を見失った者ほど、干渉し易いモノはないのだ。

 

 あの時、悪魔の少年との戦いの時、祐一は確かに憎悪を覚えたのだ。

 それは祐一自身は認めていないかもしれない。だが、そんなことは関係ないのだ。

 感情は本人の意思とは関係なく、突発的に現れるものだ。

 何時如何なる時も、感情が消えている時はないと言える。

 ただ、それを自身が認識するか、しないか、の違いでしかない。

 認識がなければ、ソレは存在しないと同意となり、自信は何も感じることはない。ただ、時が過ぎるのみだ。

 だが、実際の精神の中で現れ続ける感情は存在している。

 故に、自身が認めなくとも干渉は現れる。

 

 それは、何よりも大きく、何よりも魅力的な、絶対的な、干渉。

 

 鍵は失われた。

 故に自由。

 己を束縛するものは存在しないのだ。

 干渉が起これば、入れ替われる。

 

 紅の、対面に在る者シェルが哂う―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――そんなことが、あったんですか…」

 話を聞いた秋子の心中は穏やかではなかった。

 祐一の言うことが真実ならば、それは今までにない、異質なことだ。

 己の中に居る、己とは違うモノ。

 おそらく、常にふたつの精神が鬩ぎあっているのだろう。今は何の影響も表れていないが、いつかその影響は表れるだろう。

 その時に何が起こるかは分からない。が、何かが起こるのは確実だ。

 ひとつの器に、ふたつの精神が共存することは難しい。互いが互いに干渉し合い、主導権を握り合う。

 今は祐一に主導権があるが、何時何処でそれが入れ替わるか分からない。

 それに、もうひとつの精神は、堕天使だ。

 天使とも、悪魔とも違う。強大な力のみを有す紅の翼の者。

 天使の力に覚醒し切っていない祐一では、押さえ込むことはできないだろう。

 今の状態が続くのは、一体どれだけの間なのだろうか。

 均衡が破れれば、どちらかが崩壊することも有り得る。そうなれば崩壊するのはおそらく祐一だ。それだけは、どうにか避けたい。

 しかし―――

 

「大丈夫ですよ祐一さん」

「―――はい」

 今は、その疲れ切った身体を、精神を休めるべきだ。

 これ以上の負担は耐えられないだろう。

「それでは朝食を作りますから、祐一さんはゆっくりと身体を休めていてください」

 そう言って席を立った。

 

 朝食の準備は程なくして終わった。日常で欠かさず行っていることのため、その時間はかなり短い。

 トーストを準備し、コーヒーを淹れる。

「祐一さん、できましたよ―――」

 と、そこまで言って気付いた。

「あらあら」

 祐一は、眠っていた。よほど疲れていたのだろう。

 すぅすぅ、と穏やかに寝息をたてる祐一に毛布を掛ける。

 

「―――おやすみなさい、祐一さん――」

 

 

 

 天使と悪魔、その狭間に揺れる存在を抱く祐一。

 その存在が祐一に与えるのは、希望か、それとも絶望か。

 それは、分からない。

 ただ確かなのは、祐一の運命は、この存在に大きく影響されるということ。

 

 この先にあるのは絶望だけではないだろう。

 

 だって―――

 

 

 

 今日もまた、陽が昇るから―――――――――

 

 

 

 

 

 

第2章 【 天使と悪魔、そして堕天使 】 END

 

 

 

 

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