第47話 い つ か 観 た 悪 魔
はぁ、と息を吐いて夏杞は昂ぶったエネルギーを落ち着かせた。
栞が昏倒しているという確信はあった。
実際栞は夏杞の放った掌底によって意識を失っている。空間に満ちていたエネルギーも消えているのだから確かだ。
今なら外で降り続けていた凍結を促す雪も消え、凍っていた全てが溶け始めていることだろう。
「それにしても」
なんでこの子が、という呟きは空間に溶けるほどに小さな声だった。
掛かって来たから撃退はしたが、考えてみなくてもこれは変なのだ。栞は名雪たちの友人、顔見知りのはず。
そのはずなのに栞は何の躊躇もなく襲い掛かった。それも、本気で殺すつもりで。
実際に舞は腹部を貫かれて重傷を―――――
「そうだった…!」
失念していた自分を叱りながら、夏杞は名雪たちのいるであろう教室に飛び込んだ。
「名雪ちゃんっ」
飛び込んで、まず夏杞の目に映ったのは氷が溶けて今は眠っている佐祐理の姿。
「夏杞、さん…」
そして、舞の腹部に手を当て、能力を行使し続けている名雪の姿だった。
舞は名雪の【復元】によって何とか命を繋げている、といったような状況だ。
少しでも油断すれば血はさらに流れ出し、死に至る。
「…名雪ちゃん、栞ちゃんは抑えたから早くその子を連れて病院へ行きなさい。―――ちょうど、そっちの子も目が覚めたようだし」
え、と呟いて名雪が振り返った。
「ぅ、ん……」
ゆっくりと、佐祐理は身体を起こした。
凍結していた身体は名雪の【復元】によって元通り。栞も昏倒しているために後遺症もない。
ただ今の状況を理解していないだけ。
「佐祐理ちゃん、ね?」
「…え、あ、はい」
起きたところに、突然声を掛けられて佐祐理は困惑した。
今の状況が分からないし、それに今自分に話しかけている人のことも知らない。
ただ、見た目が名雪にそっくりだったために目を疑ったのは確かだが。
「私は夏杞―――相沢夏杞。祐一の母親よ」
「祐一さんの、お母さんですか?」
えぇ、と答えて夏杞は佐祐理を立たせた。
「起きたばかりで悪いんだけど。佐祐理ちゃん、早くあの子を病院に連れて行って。私よりもあなたの方が能力的に適し―――――」
「―――まいっ!?」
夏杞が言い切るより早く、佐祐理は夏杞の後ろ、名雪の傍らで倒れている舞を見つけていた。
そして、腹部から紅い液体を流していることも。
夏杞の横を通り抜け、舞へと駆け寄ると、佐祐理はその身体を抱き起こした。
「まいっ、まい…ッ」
表情を恐怖と絶望と焦りに染めて、佐祐理は一心不乱に舞の名前を叫び続けた。
それは舞の目覚めを願うため。そして自分自身の不安を叫びで誤魔化すため。
それが意味のないことだと誰もが分かっているのに…それでもそうせざるを得ない。
それほどまでに人は弱く、そして脆い。
目の前の現実を受け入れることは難しい。それが自身の望むものでなければなおさら。
目の前に広がっているのが絶望のみならば、人は誰もがその現実を拒む。
だが拒んだとしてもその現実が変わることはなく、さらに絶望する。
そんな悪循環。
わかっているのに、わかっていても…それでも人は弱い。
「まい…ッ!」
一際大きく呼ぶ声が響き、それを正面から聞きながら。
「――――いつまでも、泣いているわけにはいかない…」
ぽつり、と名雪が呟いた。
ぁ…と。佐祐理が声を漏らして名雪を見た。
いつまでも泣いているわけにはいかない…それは佐祐理が言った言葉。
自分自身の覚悟の言葉。
名雪がその言葉に決心を固めたように、佐祐理はその言葉を拠り所にしていた。
その支えとしていた言葉を、今此処で再び。
「泣くことは、後でも出来るよ…」
言って、名雪は薄く笑った。
能力を行使し続けている名雪はかなりエネルギーを失っている。
本当なら限界に近いはずなのに。それでも能力を使い続けることが出来るのはあの言葉があったからだ。
支えが有ると無いとでは、差が歴然としている。
そう、佐祐理にも名雪にも、誰にでも。きっと支えはあるんだ。
夏杞は多少なり落ち着きを取り戻した佐祐理へと言葉をかけた。
「…今、貴女がするべきことは…なに?」
たったひとことの。それでいて何よりも今必要な言葉。
「…はいっ」
瞳に浮かんだ滴を拭い、力強く答える。
そうだ。今は自分に出来ることをするべきだ。
ゆっくりと慎重に舞を背負う。
時は一刻を争う。【加速】を用いてスピードを上げつつ、それでいて名雪を振り切らないように気を遣う。【復元】を続けなければならないのだから仕方がない。
焦る気持ちを落ち着けて。
今出来る最善の方法を。
「総合病院に行って。連絡は私がしておくから」
「分かりました。あの…夏杞さんは…?」
そんな佐祐理の言葉に、あぁ、と呟いて。
「私はあの子を、ね」
その言葉が栞を指しているということは佐祐理にも名雪にも理解できた。
確かにこのまま放っておくわけにはいかないのだから、夏杞がそう言うのも仕方ないだろう。
「さて、と」
佐祐理たちが舞を担いで走っていったのを見送ってから、夏杞はこれからどうするかを思案した。
当然、栞について、だ。
「―――
憑依 か、催眠 か…まぁどっちにしてもこのまま放置ってわけにはいかないわよねぇ…」もし本当に
憑依 や催眠 だったなら病院に担ぎ込むのは危険性を伴う。如何にあそこが特殊機関だとは言っても、目覚めた栞が暴れれば被害がさらに拡大してしまうことは目に見えている。
それだけは避けたい。
「…やっぱり、秋子に相談するしかないかな…」
自分の実の妹の名前を呟いて、ハハ、と力なく笑う。
どうも自分は妹に頼ることが多いようだ。まったく、なんてできた妹だこと。
これでは自分が情けないじゃないか。少しだけど。
あぁもう。何だか思考がぐらぐらしてる。
さすがに少し疲れたみたい。
「―――取り敢えず」
荒れてきた思考をカットして、栞を背負う。
軽い。
細い。
それを感じ取って心が痛む。
どうして子供たちまで、こんな世界に巻き込まれてしまうのか。
こんな世界など、私達だけが巻き込まれればよかったのに。
祐一も―――既に無関係ではない。
あの子には本当に苦労をさせてばかり。あの子ばかりに不条理なことが降り注ぐ。
「母親、失格かな…」
そんな呟きは空間に溶け、そして――――響いた。
「そう思えるだけ、まだ救いがあるんじゃないか?」
閉鎖された空間に響いた声は、終わりを啓示してはいなかった。
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