第62話 紅 を 抱 き 、 白 と 成 す 刻
どくん、と血が
啼 いた。まるで叩きつけるような殺気が渦を巻き、
鬩 ぎ合い、音を立てる。( その中心において、ふたりはその牙で互いに斬り付け合わんと瞳を絞った。
――― 終わりが、近い。
それは何の確証でもなく、直感に近い予感。
空間が震撼するほどの衝撃を、ふたりは同時に足元から奔らせた。
爆発的加速。
開いていた距離は一瞬にして
零 へ。( 零になった瞬間に咲いた攻防の激突は他の目では追いきれないほどに高速。
速く、どこまでも速く。それでいて尚、
迅 く。( もはや神速の域にまで到達した鬩ぎ合いは、息をすることさえ禁忌のように激しく、鋭く閃光を閃かせる。
既に何合を迎えたのか。
それはふたりにしても未知の領域。
速度を増し続ける激突に、それでも限界はない。
零と言ってもいいほどの距離の中で、放たれる能力もまったくの決め手にはならず、膠着状態という言葉も
強 ち間違いではない。(
、ザザッ
獣の如き動きで、一瞬にしてお互いが距離を開く。
仕切りなおし、とでも言いたいのか。距離を広げたふたりは
直 に動きはせず、相手の出方を伺うかのように視線を絡めた。(
ざわり、ざわり、と。
背中を百足が這いずるような感覚。
どく、どく、と。
身体を巡る血が沸騰するような錯覚。
視線に乗って辺りを蹂躙する殺意は、まるで生き物。
牙を剥き、爪を立てて。
今にも引き千切らんと、ただ息を荒げていく。
空間を支配するモノは殺意と敵意。
他のモノはすべて凍結。動きを失い、停滞する。
動くことを許されたのはふたりのみ。
次の激突が最後だと。
根底が訴えかけた。次にぶつかる時に、この
罵迦 らしい( 殺し合い は終わりを告げるのだと。( 祐一は冷め切った思考の中でスウィッチを入れた。
カチリ、と音を立てて、全ての回路が一本に連鎖する。
そんなスウィッチを祐一自身は知らなかった。知り得なかった。そう――― 、
――― 今、までは。
今の祐一には分かっている。否、それは語弊か。―――
感じている 。( 全てが根源と連結するイメージ。
有り得ないほどの殺人衝動に駆られる自身の奥底――― 根源に回路が連結される。
さぁ、呼び覚ませ。
どくん、と啼く血。
それに呼応するかのように。
祐一の中で能力と呼ばれる力が、魂と言う名の
絶対領域 に直結する――――!(
堕天使は祐一の変化を鋭敏に感じ取っていた。
何か、自分では知り得ない力が作用しているのだということを。
だがそんなことは実際どうでもよかった。
ただ、今自分が出来る最大の力を振り絞りヤツを殺すのみ。
迷いなんてものは微塵もない。今の自分の存在は境界から外れた異常者のそれに等しい。殺人鬼という解釈が一番近いと言ってもいい程の、純粋な殺人衝動に動かされる境界逸脱者。
深く息を吸い込み、それとエネルギーの鼓動とを同調させる。
自身の鼓動と同調したエネルギーは相乗するように高まり、能力を引き伸ばす。
轟、と音を立てて風が巻き起こった。
視認不可のはずの風も、堕天使が解き放つものは黒く、昏い。
全てを消し去る異質の力――― 黒ノ風。
それが両の手で唸りを上げる。
渦巻き、速度を増し、風は
旋風 となり( 疾風 へと連鎖する。(
さぁ、解き放て。
己の内――― 根底が訴えかける。
次の激突が最後になると。この一撃に全てを賭けよと。
絡まる視線は火花を散らし、熱く
昂 ぶるエネルギーが周囲へ奔り渦を巻き起こす。( ぶつかり合い相剋する螺旋は牙を剥き、互いを傷付けんと唸りを上げた。
激突は今、この時に。
「これで――― 終わりだ」
呟くような声だった。
だが、その声に秘められた意思は強く、大きい。
それに応えるように祐一は瞳を絞り、同じように呟く。
「あぁ、これで終わりだ」
言葉はそのまま引き鉄になって、エネルギーは際限なく上昇する。
最後の激突を迎えろ。
両者の激突は空間を震わすほどの、裂帛の叫びと共に
齎 された。( ビリビリと震える空間の中、激突するふたつのエネルギーは今までの中で最も苛烈。
巻き起こる黒の
疾風 。全てを消し去り、無に帰さんと轟烈の唸りを上げる。( 鋭く、激しく、最凶の黒ノ風。
だが、それを持ってしても――― 、
――― 竜巻には及ばない――――!
一瞬すぎた
出来事 に思考は麻痺した。( 黒ノ風は竜巻に呑み込まれ、消え去り、その竜巻に自身までもが呑み込まれた。
そこからは頭がついていっていなかった。
ただ確かなのは、今自分は、自分の殺すべき相手に押し倒されているということだけ。
「――― 俺を、殺すか」
祐一は答えない。
「殺るなら、殺れ。俺は、負けたんだ。ひとつの器に、ふたつの魂はいらない」
祐一は堕天使の上に乗りかかったまま、真っ直ぐに見据えて、言った。
「最初に言っただろ。――― 俺はお前に教えてやる、ってな。だから、殺さない。俺は、だれも殺さない」
莫迦な、と呟く。
「目の前で、最も大切な人が殺されたら、貴様はどうする。その相手を殺そうと――― するだろう―――」
その言葉に祐一は答えなかった。
「誰が殺したか分かっているのに、憎まないなんてこと――― 」
「憎むさ」
言葉が言葉に打ち消された。
「憎まないはずがない。殺したい、とも思うだろうな」
それなら、と呟かれた声に、
「だけど、殺さない。そいつには――― 生きて償ってもらう」
祐一の言葉は、どこか強い。
「復讐なんてな、結局は自己満足だ。救いにも、償いにもならない。本当に死者に償わせたいなら、殺さない。生きて償わせる」
死は何も残さない。
無。
そこに残るのは無だけ。
死んで償いになんてならない。償いは、生きて、自分が行う過程を言うのだから。償いは結果ではなくて、過程。だから死は償いにならない。
そう、祐一は言った。
「あんたは莫迦だよ。殺したって、なんにもならないのに。逆に死んだ人を悲しませるだけ。本当にその人が大切だったのなら、悲しみを増やしてどうするんだよ」
祐一の言葉は確信をついていた。
そう、本当はこんなにも簡単なことだったんだ。
殺し合うなんて、莫迦らしすぎる。
「くく、貴様は幸せ者だな」
嘲るような笑み。
「だが、間違いでもない。――― そうだな、間違っていたのは俺なのかもしれない」
自分自身を嘲るような笑み。
「それでも俺はアイツを許すことは出来ない。憎しみも消えることはない」
「それは仕方ないさ。誰だって、誰も憎まずに生きていくなんて無理なんだから」
そうだな、なんて呟いて。堕天使はさらに言葉を紡ぐ。
「――― だから、俺は貴様に託すことにする。貴様が言った、誰も殺さない、という言葉に今だけは賭けてやる」
言って、堕天使は祐一の手を取った。
「あぁ。絶対に、俺は俺の道を貫いてみせる」
「聞いたぞ、その言葉。俺は貴様に全てを賭ける。――― だから」
そして強く、握り締める。
「 俺 の 力 、 貴 様 に 貸 し て や る 」
紅い光が温かく包み込んでいた。
差し込む夕焼けの光に、すべてが染め上げられている。
「――― 約束する」
ゆっくりと立ち上がり、祐一は窓の外の紅を眺めながら言った。
その顔に映っているのは、確かな決意と、覚悟。
「お前の想いも、願いも。絶対に俺は貫く。皆の為に。そして、俺自身の為に」
言葉に強い想いを乗せて。
祐一は力強く呟いた。
紅を抱き、白と成す。
今祐一の背では、純白の翼が――― 、
――― 願いと誓いを受けて、紅い光に輝いていた―――――― 。
第3章 【 紅を抱き、白と成す刻 】 END
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