第23話 消 滅 へ の 宴
風が吹き荒れる。
生み出され続ける風が周囲に広がる。
黒ノ風が、巻き起こる。
「ゆう、いち…?」
安堵感の前に、恐怖心が先立っていた。――怖い。
今の祐一は、どうしようもないくらいに怖い。あの、優しい笑みもそこにはなく、ただ無表情で幽鬼のように佇むのみ。
名雪には理解できないことばかりだった。
祐一の背中に、紅い翼。本当に真っ赤に染まった、綺麗なのに、どこか凶々しい雰囲気を持った翼を有していた。
そして、祐一が巻き起こしている風。
漆黒。この言葉が一番しっくりとくるだろう、それほどまでに黒く歪んだ風だった。そして、その風は――触れるものを消し去った。
消滅の黒き風、とでも称すればいいのか、その風は触れたもの全てを、そこに無かったかのように消し去ってしまう。
そう、消す、のだ。
その中心にいる祐一に、何の影響もないはずがなかった。身体の節々から血が噴出し、傷が無数に増え続け、全身をズタズタにしていく。それなのに―――
祐一は、哂っていた。
「その紅い翼――」
呟きは、名雪のすぐ近くから聞こえた。
「お前、堕天使――ッ!」
悪魔の少年が、搾り出すように言った。その語調から伺えるものは、焦り。そして、恐怖。
呟いた自分の言葉をまるで他人事のように聞きながら、悪魔の少年は確かな恐怖に怯え、そして呪った。
こんな奴を、相手に出来るはずが無い――!
堕天使。
その名詞を聞いて良いイメージを持つことは難しいだろう。
堕天使とは、読んで字の如しの存在。――堕ちた、天使だ。
堕ちる、の意味は――落ちぶれる、穢れる、といったものだ。決して良い言葉ではない。むしろ、不吉であり凶々しい意味合いを秘めた言葉だ。
その言葉を冠する、天使。
天使は神に仕える神聖な存在であり、光を象徴する。
その天使が――堕ちた。落ちぶれたのだ。穢れたのだ。もはや、白の光は与えられない。そこに存在するのは闇の意思。
神を見放し、光を放棄し、闇を得た天使。
だが、天使は天使なのだ。悪魔とは、また相容れぬ存在。
完全孤立の紅き翼を持つ者。
天使と悪魔の狭間で強大な力を手に入れた悪魔寄りの天使。
それが、堕天使だ。
つい、と祐一の手が悪魔の少年へと向けられた。本当に、ゆったりとした動き。なのに―― 一歩も動けなかった。
まるで空気が弾けたかのような爆音。そう認識した時点で、事は起きた後だった。
「――――ぁ」
そんな情けない声を出すのが精一杯なほどの事だった。
祐一が向けた手から弾き出された黒ノ風。それが一瞬で翔け、消滅させた。悪魔の少年の僅か横を通り抜け、その先にあった電灯を。根元約1メートルほどを残してその上部全て。
――これが、堕天使の力。
なんて化け物。すでに以前の祐一の力など足元にも及ばない。それほどまでに死へ至らしめる為だけに特化した能力。
祐一の穏やかな風はその姿を霧と化し、凍れる黒き風がその身を真とした。
もうあの祐一は此処にいない。
名雪はそう感じ取っていた。目の前にいる祐一は、もう祐一じゃない。
怖い。
自分のすぐ近くにいる悪魔よりも、今は祐一が怖い。
「ゆういち…」
呟く声も、聞こえない。
「なんだよ、畜生…ッ!」
薄ら笑いを浮かべる祐一を見て、悪魔の少年の心情はひとつの方向に収束していっていた。
先の祐一の風は、敢えて少年の脇を掠めるようにして放たれていた。そうとしか考えられなかった。何よりも、今の祐一の表情がそれを証明している。さぁ、来いよ。そんな笑い。
――焦り、恐怖の感情は忘れ去れ。
そう言い聞かせたかのように、悪魔の少年の心情は一本の炎の垂線へと加速していく。たった一本の後ろの無い垂線――怒りと言う物に。
「お前は…殺す…ッ!」
刹那、悪魔の少年が拳を地へと叩きつけた。
この悪魔の能力は等価交換によって人形を生み出すというもの。つまり、この動作は地面から人形を作り出すための必要行為――!
バチバチという空気の爆ぜる音を纏いながら、コンクリートの人形が生まれる。それも、十数体。一般の大人のサイズを越える程の大きさの人形が、十数体も同時に生み出されたのだ。
「いけぇ!」
悪魔の命が下り、その命に答え人形たちが踊る。
一直線に向かうのは祐一の命。
地から、空から、そして全方位から。逃げ道の無い猛撃を加えんと、人形たちが豪腕を振り上げた。
誰が見ても絶望的な状況。
この人形一体の一撃だけで、命は無と返すだろう。
それが十数体も同時に襲い掛かったのだ。逃げ道もなく、痛みを知らない人形は例え何をしても怯まないだろう。
そんな、誰もが絶望してしまいそうな状況の中で、
祐一は、本当に可笑しそうに、哂った。
宴の、始まりだ―――
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