第42話 凍 結 を 促 す 天 使
氷の世界。
学校へと踏み込んだ舞たちが最初に思ったのはそんなことだった。
一面の氷。床も、壁も、天井も。
全てが氷に閉ざされた空間。その空間は寒々と冷え、全ての音をも飲み込んでいく。
「き、れい」
それは誰の呟きか。
全員、その考えは同じだった。この光景は、恐ろしい前に綺麗過ぎる。
全てが氷に覆われ、そこにあるモノはさながら氷の
芸術 。キラキラと光を反射するソレは見た者を魅了し、惹き付ける。
だが。
「っ!」
舞が瞬間的に刃を跳ね上げた。
ガキン
と音を立てて刃が何かを受け止め、その受け止めたモノを見て…戦慄した。
「くっ!」
呻いて、力押しに弾き飛ばす。
―――どうして、ここにまたいる?
沸いた困惑を遮断して、目の前の対象のみに全思考を向ける。
そこにいたのは、
「―――今度は、負けない」
あの時剣を折った、見えない魔物と同種の存在だった。
舞がまだ姿を見せているその魔物へと疾駆する。
佐祐理の自分の名を叫ぶ声が聞こえた気がしたが、今はソンナモノを気にしていられない。
目の前の魔物は、人を傷つける。
前は香里を。そして今は佐祐理と名雪に危害を加えようと言うのか。
今回は負けない。前は剣を折られてしまったが、今回はそんなことは絶対にさせない。
私は魔物を討つ者だから。
そんな自分の台詞を思い出す。―――そうだ、魔物は自分が討たねばならない。これ以上誰も傷つけさせない。
ここで――――討つ!
「…せい!」
左下から振り上げた斬閃は鋭く白銀の軌跡を引いた。
が、直前に後ろへと身を投げた魔物に届くことは無い。後ろへと跳んだ魔物は着地すると同時に膝をバネと変え、伸ばす反発力を前への加速として舞へ襲い掛かった。
右手の鉤爪を勢いのままに突き出す。
ガキン、と音を立てて刃と硬質の鉤爪が一瞬交差した。勢いを殺せずそのまま舞の後ろへと行き過ぎる魔物に向かい、
「【陣】ッ!」
舞が横薙ぎに【断裂】のエネルギーを撃ち出す。【閃】とは違い、【陣】は横に幅がある。放射状に広がるソレを、この距離で、この狭い廊下で躱すことは不可能!
――――だが。
それでも魔物は躱した。
その動きを例えるならば蜘蛛。
まるで蜘蛛のような動き。横へ避けれないのを知ってか、魔物は壁を蹴った。
壁を一瞬の足場にさらに上へ。頭を下にするような形で跳躍。そして重力に従って身体が下へ落下し始めるよりも早く。
天井を蹴る。
「ぐぅッ」
今の攻撃を躱されたことに対する驚きで反応が遅れた。
そしてその遅れは致命的な隙に等しい。
重力の自由落下速度に、天井を蹴った加速力を以って襲い掛かった鉤爪は、反射的に直前で横に跳んだ舞の右腕を抉り、鮮血を散らした。
舞が痛みに腕を抑え蹲るのと、着地した魔物が再び襲い掛かってくるのは殆ど同時。
舞と魔物の距離は約2メートル。魔物の足なら1秒と掛かるまい。
いつの間にか佐祐理たちとの距離も開いてしまっていて、佐祐理が【加速】をフルに開放しても届かない。
それを知ってか魔物の表情が崩れた。―――ニタリ、と。まるで絶対勝利を確信したかのような、相手を見下したその余裕。凶々しい鉤爪を有す右腕を大げさに振りかぶる。その刹那の後。
どぶり――――――
肉を貫く、聞き慣れない音が廊下に響いた。
ぴちゃり、ぴちゃりと水の滴る音がする。
貫いた個所から、伝わり落ちるように紅い液体が流れ出していく。
「…ぁ」
佐祐理が足を止め、声を漏らした。
【加速】を使っても追いつけず、間に合わず、どうしようもない事実と、予測しうる事態に絶望し―――――
今、目の前の現実に歓喜する。
斬、と刃音が鳴った。貫いた個所から、振り向きと共に横へ刃を通す。
聞き慣れない、人が発することはできないような声を上げ、魔物の身体が灰に崩れる。
…魔物の鉤爪は舞に届いてはいなかった。
魔物が舞に迫る1秒とない時間の中で、舞は右手に握った剣を逆手に握りなおし、後ろへと突き出したのだ。
間合いの広さは舞の方が上。突き出された刃は魔物を貫き、魔物の鉤爪は舞に届かなかった。
立ち上がり、灰となり消え行く魔物に舞は言う。
「―――油断しすぎ。それでは勝てない」
「まいっ」
佐祐理が舞へと飛びついた。涙を薄く浮かべながらも笑顔で。
「佐祐理、痛い…」
舞は顔を少し赤くして、恥ずかしいのか佐祐理を押し離す。
ぐ、と舞が腕を押さえ苦痛に表情を歪ませた。
「舞さん!?」
追いついてきた名雪が驚きの声を上げた。
それもそうだろう。舞の右腕からはいまだに血が流れているのだから。
思った以上に傷は深かったようだ。
鉤爪で抉られた腕はまるで焼鏝を押し当てられたかのように熱く、痛む。
「ほ、保健室なら、何とかなるかも」
名雪の言葉に、佐祐理が、ぁ、と声を漏らす。
確かに保健室になら応急処置を施すくらいのものはあるだろう。
そうとなれば急ぐに越したことはない。
佐祐理が舞を背負うと、自らの能力【加速】を発動させた。
身体能力、上昇。脚部へエネルギーを収束―――
全身にエネルギーが行き渡り、身体能力が普通の能力者以上までに高まる。
今、まさに飛び出そうとして、
「そんなに慌てて、どこに行くんですか?」
瞬間、白い結晶が廊下を通り抜けた。
一陣の一瞬の雪。それが佐祐理の背の、舞へと吹く。
「え?」
パキン、と音を立てて舞の腕―――ちょうど傷のところが凍りついた。
それが止血の効果を発揮する。
「栞…ちゃん?」
雪が吹いた方向を見た名雪が、信じられないようなものを見たような声で、聞き慣れた名を呼んだ。
そこに居たのは、
ストールを羽織り、薄く笑みを浮かべた、
悪魔にさらわれたひとりの少女。
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