第54話    蜘 蛛

 

 

 

 大きさは3メートルに近い。

 八本の足の先端の爪は簡単に肉体を貫き、切り裂くくらいの鋭利さと強靭さを秘めているだろう。

 だがその巨体では怠慢な動きしかできまい。

 

 真琴が疾る。

 手には炎。如何に巨大とは言え相手は虫だ。炎で焼き尽くせばそれで終わる。

 間合いは直線距離で8メートル強。

 相手は壁に張り付いているのだから跳躍する必要もあるか。

 

 ジャ、と啼いて蜘蛛が再び繭塊を吐き出す。

 どういう訳か、この蜘蛛は糸を口から吐き出していた。普通蜘蛛は糸イボと呼ばれる腹部の器官から糸を出す。だがこの巨大蜘蛛は口から吐き出していた。しかも糸をボールのように纏めたモノを。

 次々と吐き出される繭塊を左右にステップを踏みながら躱していく。

 間合いは半分まで縮まった。

 あとは一気に跳躍してその顔面に炎を叩き込むだけ!

 

 ダン、と地を思いっきり蹴る。

 壁に張り付く蜘蛛に向かって跳ぶ。

 その、瞬間に目に映ったのは、

「…え?」

 そんな呟きを漏らしてしまうような光景だった。

 目の前には白。

 他の色など何もない。ただ、白い。

 その白が降ってくる。跳んだ自分に向かって、大きく包み込むように。

 それが蜘蛛の糸で作られた網だと気付いた時には既に遅かった。

「あぅーっ、何のよコレぇっ!」

 地にそのまま張り付けにされ、じたばたともがくが一向に解けそうにはない。

 粘質の糸だ。そう簡単に抜けられるはずもなく、もがく姿は蜘蛛の巣に掛かった獲物を思わせる。

 …否、実際その通りか。

 蜘蛛は真琴を喰おうとしていた。真琴だけではない。当然美汐もだ。

 アレだけ巨大になれば喰うのは動物や人間だ。そこらの虫を食べて腹の足しになるはずもない。

 

 ずるり、と蜘蛛が壁から降りた。そのまま真琴の目前まで進む。

 射程圏内に捉えたのか、右の前足が持ち上げられた。その先端にある爪が凶々しく光り、それを見た真琴がさらに激しくもがく。

 だがソレも無謀だった。粘質の糸はさらに纏わりつき、逆に動きを制限する。

 蜘蛛の前足が断頭台の刃の如く振り下ろされ、真琴を貫く――――

 

 ―――その寸前で弾かれた!

 

「させませんっ!」

 真琴と蜘蛛の足との間にある、不可視の壁。

 美汐の【障壁】が間一髪で前足を弾いたのだ。

「大丈夫ですか真琴っ」

 美汐が叫び、その声に応えるように、真琴を束縛していた糸に変化が起こった。

 

 ボ…ゥ

 

 赤い、赤い炎が糸を焼く。

 真琴が解き放ったエネルギーが【炎】と成り、縛る糸を焼き切る。

 

 ブチブチィ!

 

 炎で脆くなったところを一気に引き千切り、素早く美汐の方へ飛び退り間合いを取る。

「あぅー! 服が少し焦げちゃったじゃないっ」

 蜘蛛を睨みながら、真琴が苛立ちをぶつける。

「このまま放って置くことは出来ません…」

 美汐も、真琴の苛立ちに相乗するように己のエネルギーを高めていく。

 ぴりぴり、と緊張が走る。

 そんな中、真琴と美汐のエネルギーが段々と上昇していく。高められる最上限まで、目の前の敵を倒すために!

 

 ダン、と真琴が一気に地を蹴った。

 疾い! その速度は最初の疾走よりも断然上。瞬く間に距離を詰め、蜘蛛の射程内にまで跳びこむ。

 すかさず蜘蛛が反応した。左右の前足をまるで槍のように突き出す。

 だがそれもピンポイントに張られた美汐の【障壁】によってあっさり弾かれ、何の意味も持たない。

 ピンポイントで、限られた範囲に【障壁】を発生させれば連続的に新たな【障壁】を創りやすい。エネルギーの消費も抑えられる。同時に複数の【障壁】を創り出すことは出来ないのだから細かく張り直せるこのピンポイントブロックは使用方法として最適だ。

 さらに真琴が踏み込む。既に足で攻撃できる範囲は抜けた。後はあの頭に炎を叩き込むだけ…!

 

 ジャッ

 そこで糸の網が吐き出された。先程まで真琴を縛っていたものと同じ、粘糸によって編まれた網。

 この距離では避けることは不可能。だが、

 

 今の真琴には既に無意味だ。

 

「えぇぇーっい!」

 真琴が右手をすくい上げた。

 それだけで赤い奔流が生まれ、蜘蛛の糸全てを焼き尽くす!

 糸は細い。細いものは一気に焼くことが出来る。

 焼いてしまえばいくら粘質だろうと無意味。ただ塵になるだけ。

 

 まだ火の粉の残る網を突き破って、真琴が前に跳んだ。

 そのまま蜘蛛の頭部に手を着くように倒立の要領で一回転、その際に、

「燃えろっ」

 触れた手から、炎を叩き込む!

 

 ジャァァァッ!

 

 蜘蛛が叫びを上げる。頭部を焼かれ、嫌な臭いを振りまきながら暴れまわる。

 真琴は炎を放った時にはそのままの勢いで蜘蛛の後方まで、着いていた手で身体を跳ね上げるようにして跳び、その先の壁を足場にしてもう一度跳躍。美汐から5メートルほど離れた所に降り立っていた。

「やった?」

「…まだです!」

 蜘蛛の口から繭塊が吐き出された。それに炎が引火し、火球となって美汐たちに迫る。

「っ!」

 咄嗟に【障壁】を大きめに張り、それを凌ぐ。

 だが、そのせいで数秒だが意識が蜘蛛から外れてしまった。

 

 ガシャァンッ!

 

 硝子の砕ける音に、美汐と真琴が振り向く。

 その先には、いつの間に移動したのか、蜘蛛が培養カプセルに突っ込み、その中に満ちていた培養液で火を消していた。

――――そして。

 

 グチャビチャ

 

 吐き気を催すような光景。

 あのケルベロスの時のように、蜘蛛が……培養カプセルの中にいた、デキソコナイを喰っていた。

 

「そん、な」

「あぅー…」

 美汐たちが見ている前で、焼け爛れていた蜘蛛の頭部が復元されていく。

 デキソコナイを喰べれば喰べるほどに、だんだんと欠けた部分を補い、修復する。

 それが一体どんな原理で行われているかなど、ふたりには分からないし、分かっても意味のないことだ。

 だが、蜘蛛の傷は簡単に復元される、という事実だけは否応なしに思い知らされた。

 

 ジャッ

 戸惑いに、反応が遅れた。

「っ!?」

 障壁を張るよりも、炎で迎え撃つよりも前に。

 粘糸の網が美汐を捕らえた!

 それを見てか、蜘蛛が走る。巨体からは想像できない、素早い動き。

 

 美汐を喰うつもりか。

 一直線に美汐へと走る蜘蛛が、右前足のみを持ち上げる。

 その先端には兇刃。

 あれが振り下ろされれば、美汐は死ぬ。

 美汐と蜘蛛との距離はおよそ3メートル。そこまで来て、やっと真琴の身体は反応した。

「……美汐っ!」

 地を蹴って、美汐へと走る。

 

 真琴が蜘蛛を止めるのが早いか、

 それとも蜘蛛が美汐に兇刃を突き立てるのが早いか。

 

 真琴が走る。

 だがしかし、真琴が蜘蛛を止めるよりも早く――――

 

 

 蜘蛛は兇刃を――――

 

 

 

 

 

 

 

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