深緑の森は日中であろうと、夜中であろうと、容赦なく外からの明かりを覆い隠す。
いつも闇に包まれている森の中では、時間の感覚は正常に働きはしない。いや、時間の感覚が働かないのではなく、時間の感覚を忘れるのだ。
森の中にいる限り、時間と言うものは意味を成さない。意味を成さないものを忘却するのは当然とも言える。
今が朝なのか、夜なのか、それとも昼間なのか。
時間という感覚を忘れた今、それは誰にもわからない。
「――本当に、ここは時間がわからないな」
だから、そんな言葉が出るのも仕方のないことだった。
「森を抜ければわかるわよ」
対して夏杞は既に割り切っているのか、酷く淡々としていた。
祐一も佐祐理も夏杞の言葉は正しいとわかっている。だから足を止めることもなく森を進んでいるのだ。
だがそれでも言いたくなるほどに森の中の視界は悪かった。
音という音もなく、生き物の気配すら存在しない。現代における異界だ、と無意識に感じてしまうほどに森の中は鬱葱としている。
視界も悪く、足元も不確かなために走り抜けることもできない。
気が狂いそうなほどの長時間の野道は確実に体力をすり減らしていった。
「不気味……ですね」
「そうだな。まったく、嫌な空気だ」
森の空気は動きが停滞しているかのように、ねっとりとした不快感を持っていた。
外との空気の温度差が激しすぎる。
まるで時間が傾いでいるかのようだった。
「――それで母さん、収穫はあったんだろ?」
いい加減鬱葱とした森の視界に嫌気が差したのか、祐一は気を紛らわせるかのように夏杞に声を掛けた。
「収穫? ……そうね、帰ってから話そうかと思ってたけど、まぁ早く知れるならそれに越したことはないか」
ひとり納得して、夏杞はそれでも歩く足を止めずに先ほど知った情報を包み隠さず祐一と佐祐理に伝えた。
その内容にふたりは口をつぐみ、瞳に恐怖と怒りを宿す。許せない――とその目が語っていた。
「二週間……。長いようで、短いですね」
「あぁ。もう、
二週間しかない」
対策を練るために掛けられる時間は最長で二週間しかない。
だが対策だけで時間を使い切るわけにはいかない。対策を練ったならばそれを行動に移す必要があるし、また、準備なども必須だ。
もともと絶対的な物量差があるのだ。個々の戦力は並の悪魔と渡り合えるほどあるとは言え、数で攻められてはどうしようもない。
そこにさらに上級の悪魔が加わるとなれば――その先を想像するには幾分の勇気を要する。
「とにかく、あれこれ考えるより先に、まずは無事に帰りつかないとね」
「……ところで、俺たちはどれくらい進んだんだ?」
空を見上げながら祐一が呟く。
視界に映るのは木々だけで、月の位置さえも分からない。
「もう少し進むと、視界の開けた場所に出るわ。そこで三分の二ってところかな」
夏杞の発言の示すとおり、突然視界が開けた。
森の中において、ぽっかりと穴が開いたかのように天蓋がない。
――はじめて、月を見る。
煌々と光る月を見て、今更のように此処が現実なのだと思い知った。
あまりにも静かすぎる空気はどこか冷涼としていた。
「―――え?」
そして思い当たる。
どうして今まで何の生き物の気配も感じなかったのか、と。
感覚を研ぎ澄ませれば分かる。生き物がいないわけではない。ただ、その気配を押し殺しているだけ。
その事実に思い当たり、ふたりに声を掛けようとした祐一の動きが止まる。
同じくして、夏杞と佐祐理も動きを止めた。
夏杞の唇が慄いて動く。
「最悪、ね」
空気が変わった、と感じるのは強ち間違いではないだろう。
冷涼だった空気は今や寒々と、まるで鋭利な刃物になったかのようだ。
月光降り注ぐ
円(の広場に浸透する、極めて静かな声。
「悪魔ヴェルフェゴール……」
静かに敵意を放ちながら、祐一は目の前の悪魔と対峙した。
「こんな夜にご苦労なことだ。中まで浸入しておきながら気配を漏らさないとは賞賛に値する。だが――」
「確かに、詰めを誤ったわね。あんなところで怒りに我を忘れかけるなんて」
相手の出方を伺うように夏杞は瞳を絞る。
距離はまだあるにしても、相手の能力を考えれば安心できるものではない。
こうして会話しているには隙だらけとも見えるが、気を抜くことはできない。
それに自分達が忍び込んでいたことがばれているのだ。敵が目の前のひとりだけとは考え難い。
「佐祐理ちゃん、分かる?」
「そのことですけど、あの人以外に何の気配もないんです。……多分、間違いありません」
佐祐理の言葉に夏杞は眉をひそめる。目の前の悪魔は、ひとりで追ってきたというのか。
「……腑に落ちないわね。あなた、ひとりで追ってきたの?」
「こちらもいろいろと立て込んでいてね、無駄な人員は割けないのさ。それに」
「――自分ひとりでなんとかなる、とでも思ったか?」
ぴり、と空間に敵意が走った。
「舐められたもんだ。……まぁ、それであんたがひとりって言うんなら、それはこっちにとっても好都合だ」
言葉に同調するように祐一のエネルギーが上昇していく。出し惜しみをするつもりもないのか、敵意をむき出しにして。
「ちょ、祐一!」
「母さんたちは先に行ってくれ。こいつは、俺がなんとかする」
「なんとかするって……あんた、相手が誰だか分かってるの?」
わかってるさ。祐一は静かに呟いた。だからこそ俺が残るんだ、とも。
夏杞にも、佐祐理にも祐一が本気で言っているということが感じられた。何を言われようとも、考えを変えるつもりがないということも理解した。
「無茶、しないでくださいね」
「分かってる。佐祐理さんも、気をつけてな」
祐一がふたりに頷きかける。大丈夫だから行け、と。
ふたりが頷きを返すのを確認すると、祐一はエネルギーを右手に込め、叫ぶ。
「行けッ!」
風を解き放つ。
巻き起こった風は数瞬の間、ヴェルフェゴールの視界を奪った。
その隙に、一瞬にして能力を発動させて加速した夏杞と佐祐理が横を抜ける。
「っ、させるか!」
思惑を理解した悪魔が叫ぶ。だが、
「させてもらうぜ」
その目の前へと、右腕を横へと広げた祐一が立ちふさがった。
「あんたには、俺の相手をしてもらう」
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